津金寺は、長野県北佐久郡立科町に位置する由緒ある天台宗の寺院で、山号は「慧日山」、院号は「修学院」と称されます。本尊には聖観世音菩薩が安置され、古くから人々の厚い信仰を集めてきました。かつては「信濃国天台五山」の一つに数えられ、学問・修行の場としても大きな役割を果たしてきた名刹です。
創建は飛鳥時代、大宝2年(702年)にさかのぼり、名僧・行基によって開かれたと伝わります。その後、鎌倉時代には滋野氏の庇護を受けて寺勢は隆盛を極め、建治2年(1276年)には日本最古の天台宗談義所が設けられました。学僧が修行し、知識を深める場として栄えた津金寺は、今日に至るまで長野県内でも屈指の歴史を誇る寺院となっています。
津金寺の歴史は、大宝2年(702年)に行基が聖観音を安置したことに始まります。鎌倉時代になると、地元の有力豪族である滋野氏の厚い庇護を受け、寺院の勢いはさらに増しました。そして建治2年(1276年)、天台宗で最も古い談義所が設立され、ここから津金寺は学問と修行の拠点として大いに発展しました。
応安年間(1368〜1375年)には、穏海大僧正のもとで比叡山修学院として発展し、天台宗・真言宗・法相宗・禅宗の四宗を兼学する道場となりました。しかし戦国時代に入ると情勢は一変します。元亀3年(1572年)、寺は天台宗に改宗しましたが、天正10年(1582年)、織田信長の兵火により焼失。その後、天正壬午の乱を経て依田康国によって再興されました。戦乱の時代に幾度も苦難を乗り越えたことは、津金寺の精神的な強さを物語っています。
江戸時代には、元禄15年(1702年)に観音堂が再建され、文化10年(1813年)には仁王門、天保7年(1836年)には妙見堂が建立されました。これにより寺院の伽藍は再び整備され、信濃国の信仰の中心としての地位を確立しました。 昭和56年(1981年)には弥陀堂が再建され、近代以降も保護と修復が続けられています。また、長野県の郷土環境保全地域に指定され、貴重な自然環境とともに守られています。
津金寺の境内には本堂(阿弥陀堂)、観音堂、鐘楼、庫裡などが立ち並び、厳かな雰囲気を漂わせています。観音堂の裏山には、承久2年(1220年)、嘉禄3年(1227年)の銘を持つ石造宝塔が3基現存し、歴史の重みを感じさせます。
また、春には桜やカタクリをはじめとする野草が咲き誇り、「花の寺」としても広く親しまれています。自然と歴史が調和する景観は、参拝者の心を和ませ、四季折々に訪れる楽しみを与えてくれます。
本尊の聖観世音菩薩は、行基が戸隠権現の霊験を受け刻んだと伝えられています。現在も佐久三十三番観音霊場の札所として多くの信仰を集めており、参拝者は観音菩薩の慈悲に触れ、心の安らぎを得ています。
津金寺は、長野県佐久穂町の千手院、山梨県北杜市の津金寺(海岸寺)とともに「日本三津金寺」の一つに数えられています。この称号は、津金寺が地域を越えて広く信仰を集めてきたことを示すものです。
津金寺には数多くの貴重な文化財が残されており、その代表的なものには以下が挙げられます。
これらの文化財は、津金寺が長きにわたり歴史と信仰を受け継いできた証であり、訪れる人々に深い感銘を与えます。
津金寺に伝わる御詠歌は、信仰の心を簡潔に表現したものとして知られています。
「津金寺に 弘誓の船に 棹差して 巷の人を 渡しこそすれ」
この歌には、観音菩薩の慈悲により人々を救済するという深い意味が込められており、参拝者の胸に響くものがあります。
津金寺へのアクセスは比較的便利で、公共交通機関を利用する場合は千曲バス「上房バス停」で下車し、徒歩で訪れることができます。自然と歴史に彩られたこの地を巡る旅は、心に残るひとときとなるでしょう。