設立の背景 ―『祈りの画集』との出会い
無言館の構想は1977年(昭和52年)に遡ります。窪島氏は、日本放送出版協会から刊行された『祈りの画集 ― 戦没画学生の記録』という小さな画集に出会い、深い感銘を受けました。特に、画家・野見山暁治(のみやま ぎょうじ)氏の記述に心を動かされたことが、後に無言館を設立する決定的なきっかけとなります。
遺族を訪ねて ― 絵に込められた若き命の声
1995年、窪島氏は野見山氏を「信濃デッサン館」に招き、講演を依頼しました。その際、自然な流れで戦没画学生の話題になり、2人は全国の遺族を訪ね歩く旅に出る決意を固めます。
当初、野見山氏は慎重でした。絵の収集は困難を極め、遺族の理解や展示計画の実現、資金など数多くの課題がありました。しかし窪島氏の熱意に動かされ、2人は約1年半かけて約30の遺族を訪問。特に東京美術学校出身の戦没画学生の作品収集から始め、やがて武蔵野美術学校、京都絵画専門学校の出身者や独学の画学生へと広がっていきました。
名前の由来とその意味
「無言館」という名称について、しばしば由来を問われる窪島氏は、二つの意味を語ります。一つは「絵は無言でも、観る者に多くを語る」という意味。そしてもう一つは、「観る者が思わず言葉を失い、無言になるほど心を揺さぶられる」ことを表しています。
ただし、実際には遺族を訪ねている中で自然と思いついた名前であり、明確な命名理由があったわけではないと、窪島氏は後に記しています。
建設と支援 ― 多くの人々の力で実現
無言館は、窪島氏の私財や全国の支援者からの寄付金により建設されました。建設費の半分は、全国から集まった約3800人による小口寄付金(約4000万円)で賄われ、もう半分は窪島氏個人の銀行からの借入で補われました。上田市の協力もあり、市が産業廃棄物処理用に使用していた土地を安価で貸し出すことで建設地も確保されました。
第二展示館「傷ついた画布のドーム」の設立
開館当初は37名の画学生による約80点の作品を収蔵していた無言館ですが、年を追うごとに収蔵作品は増加。2010年頃には108名による600点余りの作品が収蔵されるようになりました。しかし、全てを展示するスペースが足りず、2008年には第2展示館「傷ついた画布のドーム オリーヴの読書館」が新設されました。この建設もまた全国からの寄付で実現しました。
「記憶のパレット」慰霊碑と赤ペンキ事件
2004年、無言館の前に戦没画学生489名の名を刻んだ慰霊碑「記憶のパレット」が建立されました。重さ23トンの黒御影石製で、その形状は画家の道具である「パレット」を模しています。
しかし、2005年6月、この慰霊碑に赤ペンキがかけられる事件が発生しました。悪質な成分が混ぜられていたため、完全に洗い流すことは不可能でした。館主・窪島氏はこの痕跡を「歴史の記憶」として一部残す判断を下し、今もなおその痕跡は見ることができます。
無言館の現在
開館情報
開館時間:9:00〜17:00(最終入館16:30)
休館日:毎週火曜日(祝日の場合は翌日)
所在地:長野県上田市古安曽字山王山3462
アクセス方法
- 上信越自動車道 上田菅平ICから車で約35分
- 長野自動車道 岡谷ICから国道142号経由で約1時間
- 上田電鉄別所線 塩田町駅から徒歩約30分、または下之郷駅からシャトルバス(4月〜11月運行)
訪れる意義
無言館は、単なる芸術鑑賞の場ではありません。戦争という過酷な時代に夢半ばで命を落とした若者たちが遺した絵画を通して、私たちに平和の大切さや命の尊さを問いかけてくる場です。静かな展示室で画学生たちの遺作と向き合う時間は、誰の心にも深く響くことでしょう。
その無言のメッセージに耳を澄ませることが、今を生きる私たちに課された「記憶の継承」なのかもしれません。