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科野大宮社

(しなの おおみやしゃ)

信濃国の歴史を伝える古社

科野大宮社は、長野県上田市に鎮座する由緒ある神社で、かつての信濃国総社と推定されています。古来より地域の守護神として信仰され、近代の社格制度では「県社」に列せられました。その深い歴史と由緒は、長野県内でも特に重要な神社の一つとして知られています。

祭神とその由来

主祭神

本社の主祭神は以下の二柱の神々です。

相殿神

相殿には以下の神が祀られています。

社の創建と歴史的背景

社伝によると、科野大宮社は第10代・崇神天皇の御世、神八井耳命の孫である建五百建命(たけいほたけのみこと)によって創建されたと伝えられています。

さらに、天武天皇の時代には神地の下賜があり、奈良時代の天平年間(729年~749年)には官祭が執り行われたともいわれています。これは、当社が早くから国家的な祭祀の場として重要視されていたことを示しています。

信濃国総社としての役割

古代の信濃国府は現在の上田市に置かれていたとされ、当社はその地に鎮座していたことから、国司が参拝する「総社」であったとの説があります。近くには「信濃国分寺跡」「信濃国分尼寺跡」もあり、当時の国府エリアの中心的な宗教施設であったことがうかがえます。

中世から近世への変遷

中世には「総社大宮」「科野国魂神」と称されたほか、荘園「常田荘」の中心に位置し「大宮諏訪大明神」とも呼ばれていました。康安2年(1362年)には関東管領・足利基氏が彗星出現の際、天下泰平を祈って願文を奉納した記録が残っています。

真田氏の庇護と近代社格制度

戦国時代に上田城が築かれると、科野大宮社はその鎮守として定められ、特に真田氏の時代には信濃国分寺の三重塔とともに藩費で修繕されたと伝えられます。江戸時代の古地図にも「常田村大宮」と記載されており、城下の精神的支柱として重んじられていました。

明治時代になると、近代社格制度により「県社」に列し、社名を「科野大宮社」に改称しました。これは公的にその格式が認められたことを意味します。

社殿と境内の見どころ

歴史を伝える社殿と社叢

現在の社殿は、万延元年(1860年)に上田藩主・松平忠礼によって再建されたもので、風格のある建築が印象的です。境内には多くの大木が茂り、その社叢は「上田市指定天然記念物」に指定されています。

境内社と由緒

境内には六所明神や駒形稲荷社といった末社も鎮座しており、これらは上田城の築城時(天正年間)に、旧城地から当地へ移されたと伝えられています。

文化財と指定情報

上田市指定文化財

現地情報・アクセス

所在地

長野県上田市常入字上常田723-1

アクセス

最寄駅は、JR東日本・しなの鉄道・上田電鉄「上田駅」で、駅からは徒歩約12分とアクセスも良好です。上田城や信濃国分寺と併せて訪れると、信州の歴史と神仏文化をより深く堪能できるでしょう。

まとめ

科野大宮社は、古代から現代に至るまで、上田の地に根ざし、地域の人々の信仰と歴史を支えてきた神社です。その格式ある由緒、豊かな自然、そして文化財としての価値から、上田市を訪れる際にはぜひ立ち寄りたいスポットのひとつです。

Information

名称
科野大宮社
(しなの おおみやしゃ)

上田・小諸・佐久

長野県