旧小諸本陣は、長野県小諸市の旧北国街道小諸宿に現存する、江戸時代の本陣兼問屋場建築です。本陣とは、参勤交代で往来する大名や、幕府役人、勅使といった身分の高い人物が休泊した特別な宿舎であり、宿場町の中でも最も格式の高い施設でした。
旧小諸本陣は、街道に面した堂々たる外観と、宿駅制度を支えた行政的機能を併せ持つ点に大きな特徴があります。現在、建物内部は非公開ですが、外観や門構えからは、往時の小諸宿が北国街道において重要な役割を担っていたことが強く伝わってきます。
江戸時代、幕府は主要街道に宿場町を設け、その中核施設として本陣および脇本陣を整備しました。本陣は大名や公家、幕府高官などが宿泊・休憩するための施設で、一般の旅人が利用することはできませんでした。規模の大きな宿場では、本陣や脇本陣が複数置かれることもあり、小諸宿もその一つでした。
一方、脇本陣は本陣の補助的な役割を果たし、大名に随行する上級家臣や公家などが利用しました。これらの施設は、単なる宿泊所ではなく、格式や威厳を示す場でもあったのです。
問屋場は、宿駅制度を支える実務の拠点でした。人足や馬の手配、公用書状を運ぶ継飛脚の管理、荷物の中継など、公的な旅や物流を円滑に進めるための業務が行われていました。中山道や北国街道などの主要街道では、複数の問屋場を設け、日替わりで業務を担当する宿も多く存在しました。
旧小諸本陣は、本陣と問屋場の機能を一体で担っていた極めて珍しい建物であり、現存する問屋場建築は全国でもわずか二棟しかないとされています。
旧小諸本陣は、江戸時代に小諸宿で本陣役と問屋役を兼ねていた上田家の住宅として使用されていました。建築年代は、建築様式や構造から18世紀末から19世紀初頭と推定されています。その希少性と歴史的価値から、主屋および表門は1973年(昭和48年)6月2日に国の重要文化財に指定されました。
主屋は北国街道に面して妻を向けた二階建・切妻造・桟瓦葺の大規模な建築です。当時としては珍しい総二階建で、二階にも多くの部屋を備えており、本陣と問屋場の両機能を担うにふさわしい規模を誇っています。
道路側の外観では、二階部分を太い出梁によって約2.5尺(約75センチ)前方に張り出し、壁面には連続した格子窓が設けられています。この構造は、総二階建の威容を強調すると同時に、格式の高さを街道に示す役割を果たしていました。
本陣屋敷への出入り口である表門は、薬医門(やくいもん)形式の構造を持ち、重厚かつ端正な佇まいを見せています。この門をくぐり、問屋場の奥に建てられていた御殿へと、大名たちは迎え入れられました。
明治時代中頃になると、旧小諸本陣は田村家の所有となりました。その後、長い年月を経て建物の老朽化が進み、県道に面した建物の傾斜や屋根瓦の落下が懸念されるようになります。
1993年(平成5年)、田村和夫氏から小諸市へ寄贈されたことで、公的な保存への道が開かれました。2016年(平成28年)には、国の支援のもと、解体復元工事を見据えた応急補修として、パイプによる補強や屋根瓦の一部撤去などが行われています。
旧小諸本陣のうち、かつて大名の休泊に用いられた主屋(御殿部分)は、明治初頭まで隣地に存在していました。その後、佐久市へ移築され寺院建築として使用されましたが、1995年(平成7年)に小諸市へ寄贈され、現在は大手門公園内に移築復元されています。
この建物は小諸宿本陣主屋として1997年(平成9年)から歴史資料館として公開され、上段の間や式台玄関など、当時の格式ある空間構成を今に伝えています。
2023年(令和5年)11月23日には、藤屋御本陳によって、本陣主屋を活用したイタリアンレストラン「KOMORO HONJIN OMOYA」が開業しました。歴史的建築を生かしながら、新たな文化と交流を生み出す場として、再び注目を集めています。
旧小諸脇本陣は、江戸後期に建てられた平入り大屋根構造の建物で、参勤交代に随行した上級家臣らが宿泊しました。現在は登録有形文化財に登録され、宿泊施設「脇本陣の宿・粂屋」や喫茶施設として活用されています。
旧小諸本陣の周辺には、国の重要文化財である小諸宿問屋場をはじめ、懐古園や小諸市立郷土博物館など、歴史と文化を感じられるスポットが点在しています。徒歩圏内で巡ることができ、宿場町・小諸の歴史を立体的に体感できます。
旧小諸本陣は、本陣と問屋場という二つの役割を兼ね備えた、全国的にも極めて希少な建築です。北国街道を行き交った大名や役人たちの姿、そして宿場町を支えた人々の営みを、今に静かに語りかけてくれます。
外観を眺めるだけでも、江戸時代の街道文化と小諸宿の繁栄を感じ取ることができるでしょう。周辺の歴史的建造物とあわせて訪れることで、小諸という町の奥深い魅力をより一層味わうことができます。