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信濃国分寺

(しなの こくぶんじ)

信濃国分寺は、長野県上田市国分に所在する天台宗の古刹であり、本尊は薬師如来です。現在は山号・院号を持ちませんが、江戸時代には「浄瑠璃山真言院国分寺」と称していました。また、本堂である薬師堂には「八日堂(ようかどう)」という別名もあります。

奈良時代からの歴史

この寺院は奈良時代、聖武天皇の勅命によって全国に建立された国分寺のひとつであり、信濃国における国分寺の後継寺院とされています。創建当初の寺はやがて衰退しましたが、地域住民によって新たに建て直され、今日の信濃国分寺へと継承されました。

再建と変遷

寺の再建は鎌倉時代初期と推定され、源頼朝がその再興に関与したという伝承も残されています。当初は釈迦如来を本尊としていましたが、後に薬師如来へと改められ、民衆の寺としての役割を担うようになりました。現在でも毎月8日には金光明経の読経が行われることから、「八日堂」と呼ばれ親しまれています。

歴史的背景

上田市の中心地に位置

信濃国分寺は、上田盆地の中、千曲川北岸に位置し、信濃国の国府が置かれていたとされる古代信濃国の中枢にあります。創建時の僧寺および尼寺は現在の国分寺より南側に隣接しており、その場所には現在しなの鉄道が通っています。

国分寺跡の詳細

創建時期は不明ですが、発掘調査によって平安時代初期までの存続が確認されています。現国分寺への移転時期は定かではないものの、寺伝では938年の平将門の戦によって焼失したとされています。

復興と建築

復興の時期については、鎌倉時代とされる三重塔の存在や、建久8年(1197年)の寺伝によって裏付けられています。また、平安時代以降の仏教思想の影響により、本尊が釈迦如来から薬師如来へと変化したとも考えられています。

境内の見どころ

本堂(薬師堂)

本堂は文政12年(1829年)の発願により、天保11年(1840年)から万延元年(1860年)までの期間をかけて建設されました。構造は桁行6間、梁間4間の入母屋造で、庇付きの裳階をめぐらせた堂々たる建築です。江戸時代末期の様式をよく残し、長野県宝に指定されています。

三重塔(国指定重要文化財)

三重塔は高さ20.1メートルを誇り、室町時代中期の建立とされます。初層内部には大日如来坐像を安置し、禅宗様の建築様式も見られます。昭和7年から8年にかけて全面解体修理が行われ、重要文化財に指定されています。

その他の見どころ

境内には他にも鐘楼、観音堂、大黒天堂、そして鎌倉時代の作とされる石造多宝塔(市指定文化財)などが点在しています。

信濃国分寺跡と信濃国分尼寺跡

僧寺跡の概要

現国分寺の南側に位置し、講堂・金堂・中門・塔・回廊などの伽藍跡が確認されています。配置は東大寺式で、南北一直線上に主要堂宇が並んでいます。

尼寺跡の構成

僧寺跡の西隣にあり、金堂・講堂・中門・回廊・鐘楼・経蔵・尼房などが確認されています。建物の配置も僧寺と同様に整然としています。

行事と文化財

八日堂縁日

毎年1月7日〜8日にかけて開催される「八日堂縁日」は、蘇民将来符の頒布で知られる歴史ある行事です。この習俗は国の選択無形民俗文化財に指定され、蘇民将来符自体も上田市の有形民俗文化財に指定されています。

信濃国分寺資料館

1980年に開館した信濃国分寺資料館では、発掘調査により出土した約2000点の資料を8つのテーマに分けて展示しています。原始時代から平安時代にかけての信濃地方の歴史と文化を学ぶことができます。

アクセスと周辺施設

交通アクセス

鉄道:しなの鉄道「信濃国分寺駅」から徒歩約5分。またはJR東日本北陸新幹線「上田駅」からタクシーで10分。

バス:千曲バス「八日堂入口」バス停下車。国道18号線沿いにあり、仁王門の前に位置しています。

車:上信越自動車道「上田菅平IC」より車で約15分。

周辺の見どころ

信濃国分寺の周辺には、国分八幡神社(国分寺の守護神とされる)や、信濃国の総社と推定される科野大宮社など、歴史的に貴重な神社仏閣が点在しています。

信濃国分寺は、奈良時代から現代に至るまで長きにわたり歴史と文化を伝え続ける貴重な寺院であり、上田市を訪れる際にはぜひ立ち寄りたい観光地です。

信濃国分寺の概要

歴史的背景と寺院の成り立ち

信濃国分寺(しなのこくぶんじ)は、長野県上田市国分に位置する天台宗の寺院で、本尊には薬師如来を祀っています。現在では山号や院号は使用されていませんが、江戸時代には「浄瑠璃山真言院国分寺」と号されていました。また、本堂である薬師堂は「八日堂(ようかどう)」とも呼ばれ、地域の人々から親しまれています。

この寺院は、奈良時代に聖武天皇の命により全国に建てられた「国分寺」のひとつで、信濃国の国分寺の後継寺院とされています。創建当初の寺院跡と尼寺跡は「信濃国分寺跡」として、国の史跡に指定されています。

中世からの復興と民衆の信仰

奈良時代に建立された信濃国分寺が時代の流れと共に衰退すると、地域の人々によって現在の高台に新たに寺が再建され、国分寺の伝統が受け継がれました。これが現在の信濃国分寺です。

その再建は鎌倉時代の初期と推定されており、源頼朝が再建に尽力したという伝承も残っています。また、当初のご本尊であった釈迦如来に代わり、薬師如来が本尊として祀られるようになり、庶民の信仰を集める寺として今日まで親しまれています。毎月8日には「金光明経」の読経が行われることから、「八日堂」という別名が生まれました。

信濃国分寺の歴史的背景

地理的特徴と国府との関係

信濃国分寺は、上田盆地の中心、千曲川の北岸に位置します。この地は古代信濃国の政治の中心であり、国府が設置されていたと考えられています。僧寺と尼寺は並んで建立され、現在その中を「しなの鉄道」が通過しています。

古代から平安時代の推移

国分寺・国分尼寺の創建時期は明確ではありませんが、発掘調査によれば、どちらの寺も平安時代初期まで存続していたことが確認されています。寺伝では、平将門と平貞盛による承平8年(938年)の戦で焼亡したとされますが、発掘による焼失の痕跡は限定的で、実際には平安時代末期の律令制の衰退とともに荒廃したと推定されます。

境内の見どころ

本堂(薬師堂)

現在の本堂は、文政12年(1829年)に発願され、天保11年(1840年)に着工、万延元年(1860年)に完成した壮大な建物です。桁行6間、梁間4間の入母屋造で、身舎の周囲に裳階(もこし)を巡らせています。外観は二層に見えますが、構造的には単層裳階付きの建築です。長野県宝にも指定されており、東信地域では最大規模の堂宇となっています。

三重塔(重要文化財)

高さ約20.1メートルを誇る三重塔は、源頼朝の発願によって建立されたと伝わり、建久8年(1197年)の墨書も存在していたとされます。ただし、様式的には室町時代中期の建築とされ、昭和初期に解体修理が行われました。四天柱を備えた内部には大日如来坐像が安置され、和様を基調としながらも、禅宗様の要素が随所に見られる点が特徴です。

その他の文化財

本堂のほかにも、鎌倉時代の作とされる石造多宝塔(市指定文化財)や、「信濃国分寺勧進帳」などの貴重な文書も保存されています。

主な年中行事

八日堂縁日と蘇民将来符

毎年1月7日から8日にかけて、「八日堂縁日」が開催されます。この縁日では、「ドロヤナギ(泥柳)」で作られた六角柱型の蘇民将来符が頒布されます。この行事は非常に歴史が古く、「蘇民将来符頒布習俗」として国の選択無形民俗文化財に選ばれているほか、蘇民将来符自体も上田市の有形民俗文化財に指定されています。

信濃国分寺跡と尼寺跡

国分寺(僧寺)跡

現国分寺の南側には、かつての国分寺(僧寺)跡があります。東西約177メートル、南北約178メートルの広さを持ち、金堂、講堂、塔、中門、回廊などの遺構が確認されています。伽藍配置は東大寺式で、南から北へ中門、金堂、講堂が一直線に並び、塔は南東に位置していました。

国分尼寺跡

僧寺跡の西側には、国分尼寺跡が存在します。東西・南北ともに約150メートル四方で、こちらも中門、金堂、講堂、回廊、経蔵、鐘楼、尼坊の跡が確認されています。伽藍は南北一直線に配置され、講堂の東西には鐘楼と経蔵が配されていたと考えられています。

文化財と資料館

信濃国分寺資料館

1980年に開館した「信濃国分寺資料館」では、国分寺の発掘調査で出土した約2,000点の資料を8つのテーマに分けて展示しています。また、原始時代から平安時代までの考古資料の展示や、歴史講座・民俗教室なども開催され、地域の学びの場としても親しまれています。

指定文化財一覧(抜粋)

交通アクセスと周辺情報

アクセス方法

鉄道:しなの鉄道「信濃国分寺駅」より徒歩約5分。
車:上信越自動車道「上田菅平IC」より約15分。
バス:千曲バス「八日堂入口」下車(国道18号線沿い、資料館付近)。

周辺の名所

Information

名称
信濃国分寺
(しなの こくぶんじ)

上田・小諸・佐久

長野県