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王日神社(中野市)

(おうひ じんじゃ)

平安時代からの歴史と高梨氏館跡の史跡

王日神社は、長野県中野市諏訪町に鎮座する由緒ある神社で、北信地方の歴史と深く結びついた存在です。神社のすぐ隣には、国指定史跡であり北信地方最大級の中世方形館跡である高梨氏館跡が広がっており、神社参拝と史跡散策を同時に楽しめる貴重な観光スポットとなっています。

王日神社の概要と創建の背景

王日神社の創祀年代は明らかではありませんが、平安時代に編纂された『和名抄』に記される日野郷中野の地に鎮座していた古社と伝えられています。もともとは、現在の社地より東に位置する大平山(王日良山)、すなわち現在の鴨ヶ嶽(標高688メートル)に鎮座し、「日野社」と称されていました。

中世に入ると、この地域を支配した豪族高梨氏の厚い崇敬を受け、1351年(観応2年)に高梨氏の居城に近い現在地へと遷座しました。これは、神社が単なる信仰の場にとどまらず、地域支配と精神的支柱として重要な役割を担っていたことを物語っています。

祭神と信仰の特徴

王日神社には、建御名方神(たけみなかたのかみ)天水分神(あめのみくまりのかみ)軻遇突智神(かぐつちのかみ)の三柱が祀られています。建御名方神は諏訪信仰で知られる武勇の神、天水分神は水を司る神、軻遇突智神は火の神として、それぞれ農業や防災、地域の安寧と深く結びついた信仰を集めてきました。

社殿の変遷と近代以降の歩み

天正年間には洪水により社殿が流失するという大きな被害を受けましたが、1592年(文禄元年)に再建され、地域の信仰は途切れることなく受け継がれました。1810年(文化7年)には本殿の改築が行われ、1864年(元治元年)には現在の「王日神社」という社名に改称されます。

明治時代に入ると、1873年(明治6年)に郷社に列格され、地域を代表する神社としての地位を確立しました。境内には、松尾社(少彦名命)、秋葉神(軻遇突智神)、西宮神社(八重事代主命)などの摂末社も祀られ、多様な信仰が今も息づいています。

一年を通じて行われる祭礼

王日神社では、正月の歳旦祭をはじめ、紀元祭、祈年祭、祇園祭、例祭(秋祭)など、年間を通じて多くの祭礼が執り行われます。特に10月の例祭は、地域の人々が集い、五穀豊穣と氏子の安寧を祈る重要な行事として知られています。

高梨氏館跡と中世北信濃の歴史

王日神社の隣に広がる高梨氏館跡は、鎌倉時代から戦国時代にかけて北信地方で勢力を誇った高梨氏一族の居館跡です。「高梨城」「中野御館」などとも呼ばれ、日本の中世城館史を考えるうえで極めて重要な遺跡とされています。

高梨氏の興隆と館の役割

高梨氏は、清和天皇の流れを汲む源氏の一族と伝えられ、鎌倉時代以降、北信地方で勢力を拡大しました。背後の鴨ヶ嶽城を詰めの城とし、この館を政治・生活の拠点としていました。戦国時代には、武田信玄と上杉謙信の抗争の中で翻弄されながらも、1561年(永禄4年)の川中島の戦いでは上杉軍の先陣を務めるなど、歴史の表舞台で活躍しました。

国指定史跡としての価値

館跡は東西約130メートル、南北約100メートルという大規模な方形館で、堀や土塁が良好な状態で残されています。1986年から1992年にかけて行われた発掘調査では、中世の庭園跡や、土塁が複数段階で築かれたことが確認され、2007年(平成19年)に国の史跡に指定されました。

高梨館跡公園としての現在

現在は高梨館跡公園として整備され、市民や観光客が気軽に歴史に触れられる空間となっています。春にはタカトオコヒガンザクラが咲き誇り、史跡と自然が調和した美しい景観を楽しむことができます。

王日神社と高梨氏館跡を訪ねる魅力

王日神社と高梨氏館跡は、信仰と武士の歴史が隣り合う、全国的にも珍しい場所です。静かな社叢の中で神社の歴史に思いを馳せ、隣接する館跡で中世武士の暮らしを想像することで、北信地方の奥深い歴史と文化を体感することができます。歴史好きはもちろん、散策や季節の風景を楽しみたい方にもおすすめの観光地です。

Information

名称
王日神社(中野市)
(おうひ じんじゃ)

野沢温泉・志賀高原

長野県