如法寺は、長野県中野市東山の地に佇む、真言宗智山派の由緒ある寺院です。山号は高領山(こうりょうざん)、院号は無量寿院と称し、京都の智積院を本山としています。春には境内を彩る美しい桜が咲き誇り、多くの花見客が訪れる場所としても知られています。
如法寺の創建は古く、807年(大同2年)にまで遡ります。弘法大師・空海がこの地を訪れた際、自らが彫刻した千手観音像を安置したのが起源とされています。その後、826年(天長3年)には真如法親王が境内を整備し、七堂伽藍に36坊を構える大寺として発展を遂げました。
如法寺は、平安時代後期に成立した説話集『今昔物語集』にも登場します。物語には、薬蓮という沙弥が阿弥陀経の功徳によって極楽往生を遂げたという逸話が記されており、古くから信仰を集めていたことがうかがえます。
戦国時代には幾度となく戦火に巻き込まれました。1561年(永禄4年)、川中島の戦いにより堂宇が焼失しましたが、観音堂(現在の古堂)、庫裡、仁王尊などは焼失を免れました。その後、江戸時代に入ると、幕府の庇護を受け、四代将軍徳川家綱から特に篤い帰依を受けて再建されました。
如法寺は、幾度となく中興・再建を経験しています。1412年(応永19年)には高梨規政が再興し、1615年(元和9年)には重譽住職が再建を果たします。1648年(慶安元年)には、住職頼尊が密教を極め、第二の中興開祖として名を残しました。
如法寺の境内には、重厚な構えの本堂をはじめ、大悲閣(観音堂)、弘法堂、庫裡、鐘楼、仁王門など、歴史ある建造物が多数存在しています。
大悲閣は、1836年(天保7年)に建立されたと伝えられています。高台に建てられ、参道の奥にそびえ立つこの建物は、懸造(かけづくり)という構造を持ち、正面の一部が斜面からせり出しています。屋根は桟瓦葺きで、天井には格天井が施され、その板には観音の彩色絵図が描かれています。木造の千手観音像を本尊とし、鎌倉時代作とされる阿弥陀像や大日如来像も安置されています。
弘法堂は、17世紀後期の建築とされ、如法寺の中でも最も古い建物と考えられています。寄棟造りで、屋根は茅葺の上から銅板で覆われています。豪華な極彩色の仏画が格天井の格間に描かれており、北信濃特有の彫刻技法が随所に見られます。
境内には、空海が坐禅修行を行ったとされる場所や、春になると見事な花を咲かせる「弘法桜」があり、多くの参拝者や観光客を魅了します。
境内には荘厳な鐘楼があり、1819年(文政2年)に覚弁住職により建立された大梵鐘が祀られています。1962年(昭和37年)には再興され、今でも法要時には荘厳な音色が境内に響き渡ります。
如法寺の大悲閣(観音堂)と弘法堂は、2002年(平成14年)3月1日に中野市の有形文化財に指定されました。どちらも精緻な彫刻と保存状態の良さから、歴史的・文化的に高く評価されています。
境内には市内最大級のイチョウの巨樹があり、1985年(昭和60年)に中野市の天然記念物に指定されました。高さはおよそ16.5メートルに達し、秋には美しい黄金色の葉が訪れる人々を魅了します。
近代に入ってからも如法寺は発展を続け、1920年(大正9年)には峰島滋忍師が住職に就任し、境内を一般に開放して東山公園として整備しました。1929年(昭和4年)には中野大仏が建立され、1966年(昭和41年)には峰島師が真言宗豊山派の最高栄誉である大僧正の称号を受けています。
如法寺は、1200年を超える歴史を有し、弘法大師ゆかりの由緒ある寺院として、宗教的・文化的価値の高い遺産です。四季折々の自然に彩られた境内は、訪れる人々に静謐と癒しを与え、歴史の重みを感じさせてくれる空間となっています。中野市を訪れる際は、ぜひ一度足を運んで、その歴史と自然の美しさをご体感ください。