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稲荷山宿

(いなりやまじゅく)

稲荷山宿は、長野県千曲市に位置する北国西街道(または善光寺街道、善光寺西街道)の宿場町であり、洗馬宿から数えて10番目の宿場です。北国西街道と谷街道の分岐点にあたり、現在の千曲市稲荷山地区に当たります。江戸時代、善光寺へと向かう主要な街道として栄えたこの地域は、商業や文化の中心地としても知られていました。街道沿いの町並みや建物は、当時の面影を色濃く残しており、観光名所となっています。

歴史的背景と創建

稲荷山宿の歴史は、戦国時代にまでさかのぼります。1582年(天正10年)に上杉景勝の命により、荒砥城の守将が徳川方に寝返るのを防ぐために築城された稲荷山城が起源です。この時、町割りや伝馬制度が整備され、宿場としての役割が始まりました。また、地名の由来についても、白い狐が湯の崎山に姿を消した伝説が伝わっています。

稲荷山宿の名前が文献に登場するのは、比較的新しく、1484年(文明16年)の文書において、付近の地名として「いなりやま」が詠まれた歌が見つかっています。このことから、この地名は少なくともその頃から存在していたことがわかります。また、甲州流築城術に基づく「馬出し小路」という地名があることから、武田氏の支配下にもあった可能性があります。

稲荷山宿の発展と街道の役割

稲荷山宿は、慶長年間(1596年~1615年)にはすでに宿場町としての機能を持ち始め、1614年(慶長19年)に北国西街道が正式に整備されるとともに、稲荷山宿もその宿場として正式に組み込まれました。宿場町としては、最初に「新町」、「五日町」、「横町」、「柳町」の四つの町が設けられ、後に町名が変更されていきました。また、当時は商業活動が盛んで、特に呉服商や絹織物の商取引が盛んでした。地元商人たちは、善光寺街道の要所として繁盛していたのです。

また、稲荷山宿は、善光寺街道谷街道の分岐点として、交通の要衝でもありました。このため、商業活動はもちろん、文化や地域行事も盛んに行われ、地元の人々と観光客にとって大切な場所となっていました。特に「九斎市」という定期市が立ち、地元商人や旅人たちで賑わいました。

稲荷山宿の商業と文化

江戸時代には、稲荷山宿は商業の中心地として繁栄し、特に絹織物や生糸の取引が盛んに行われました。この地域は、北信濃随一の商都としての地位を確立し、商業の発展がそのまま町の繁栄に繋がりました。また、稲荷山宿は、商業活動に加え、文化活動も盛んに行われており、後の時代にもその影響を色濃く残しています。

商業の中心として知られる稲荷山宿には、往時の商家や呉服問屋が軒を連ね、現在もその面影が残されています。「蔵の町」としての復興が進められ、当時の街並みや土蔵が保存されています。これにより、観光客は、昔ながらの街道沿いの風情を楽しみながら、歴史的な建物を見学することができます。

近代以降の変遷と衰退

明治時代に入ると、稲荷山宿は一時的に衰退します。特に、昭和恐慌や昭和時代の都市化が進む中で、商業地としての活気は薄れ、JR稲荷山駅が郊外に建設されるとともに、宿場町としての機能は衰退していきました。しかし、これによって保存された旧市街地の魅力が、現在の観光地としての価値を高めています。

稲荷山宿の伝統的建物と観光地

稲荷山宿の中心には、伝統的な建物群が保存されており、「稲荷山宿蔵し館」や旧呉服商の「山丹」、「松木家本陣」跡などが見どころです。また、「ふる里漫画館」では地元出身の政治漫画家、近藤日出造の作品が展示され、観光客に文化的な魅力を提供しています。

これらの施設は、街道の歴史や文化を感じながら、地域の商業活動や社会の変遷を学ぶことができる貴重な場所です。また、「蔵の町」としての再生が進む中で、昔ながらの商家の姿が色濃く残り、訪れる人々を魅了しています。

周辺の観光スポットとアクセス

稲荷山宿周辺には、武水別神社(八幡宮)や長谷寺(北信濃随一の長谷寺)など、歴史的な名所が点在しています。これらのスポットを巡ることにより、稲荷山宿の歴史や文化をより深く理解することができます。

また、稲荷山宿へのアクセスは非常に便利で、JR篠ノ井線稲荷山駅から徒歩20分ほどで到着します。近隣には長野自動車道更埴インターチェンジがあり、車でのアクセスも便利です。

稲荷山宿の魅力的な観光のまとめ

稲荷山宿は、商業と文化の歴史が色濃く残る町であり、今でもその名残を楽しむことができます。歴史や建築、そして商業の盛衰を学ぶことができる貴重な場所であり、観光地として非常に魅力的なスポットです。是非、訪れてその魅力を実感してください。

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名称
稲荷山宿
(いなりやまじゅく)

長野市・戸隠・小布施

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