長野市は、長野県の北部に位置する県庁所在地であり、県内最大の人口を擁する都市です。県内の北信地方における政治・経済・文化の中枢を担っており、松本市(中信地方)と並んで、中核市に指定されています。
1998年には世界的なスポーツの祭典である長野オリンピックおよびパラリンピックが開催され、世界各国から多くの人々が訪れました。さらに、2005年には第8回スペシャルオリンピックス冬季世界大会も開催されるなど、国際都市としての側面も持ち合わせています。
市内にある長野県庁本庁舎は、標高371.3メートルの地点に建てられており、日本全国の47都道府県の中で最も高地にある県庁舎として知られています。
長野市は、上信越高原国立公園に属する山々、たとえば飯縄山、戸隠山、黒姫山など北信五岳に囲まれています。市の中央には、日本有数の一級河川である千曲川と犀川が穏やかに流れており、水と緑に恵まれた美しい自然景観を形づくっています。
長野盆地は、標高330~380メートルの間に広がる約300平方キロメートルの広さをもつ盆地で、「善光寺平」とも呼ばれています。千曲川、犀川、裾花川など多くの川が流れ込み、千曲川へと合流しています。盆地内の地形はなだらかで、流れが穏やかであることから、古くから耕作地として活用されてきました。現在では、市街地化も進んでいます。
西部山地から流れ込む犀川や裾花川が運ぶ砂礫によって、盆地には大規模な扇状地が形成されています。長野市の主要な市街地は、この扇状地の上に発展しています。
西部山地は標高1000メートル以下の穏やかな山々が連なり、地質が軟らかいため地滑りが多く見られます。古い地滑り跡地は肥沃で、農地や住宅地として利用されています。かつては薪炭林として活用されていた斜面も、近年では手入れが行き届かず、荒廃が進行しています。
標高1200メートルを超える山々が連なり、急峻な地形が特徴です。硬い岩盤で形成されており、平地が少ないため耕作地も限られていますが、一部は果樹園や住宅地として活用されています。
長野市には以下のような自然資源や地形が豊富に存在します。
飯縄山、高妻山、戸隠山、虫倉山、聖山などの美しい山々、また飯綱高原などの高原地帯が魅力です。
千曲川(信濃川)、犀川、裾花川、鳥居川、奥裾花湖、琅鶴湖など、多様な水辺の風景が楽しめます。
美しい景観を持つ裾花渓谷や奥裾花渓谷のほか、鏡池、猫又池などの池や逆谷地湿原などの湿地帯も存在し、自然観察にも適しています。
長野市の中心部は盆地にあるため、昼夜・季節の気温差が大きい内陸性の気候(中央高地式気候)に分類されます。特に夏は高温になることもありますが、冬は厳しい寒さが続きます。
冬季には放射冷却現象の影響で気温が急激に低下し、真冬日になることも珍しくありません。市街地では平均最低気温が−3.9℃、過去には−17.0℃(1934年1月24日)を記録したこともあります。
長野市の年間降水量は全国の県庁所在地の中で最も少ない965mm程度とされており、乾燥した気候が特徴です。ただし、近年は1000mmを超える年も見られます。積雪については中心市街地で年間降雪量163cm、最深積雪は80cm(1946年)と、過去のデータに比べ減少傾向にあります。
夏は晴天の日が多く、日照時間が長いのも特徴です。観測史上の最高気温は38.7℃(1994年8月16日)で、8月には猛暑日となることもあります。
長野市の歴史は、はるか昔、旧石器時代から始まります。特に、飯綱高原に位置する上ケ屋遺跡では、およそ2万年前の人類の生活の痕跡が発見されており、当地域が人類の営みの場であったことがうかがえます。
縄文時代には、豊野地区の上浅野遺跡や中条地区の宮遺跡など、多くの遺跡が残されており、当時の集落の様子や暮らしぶりが想像できます。さらに、弥生時代に入ると、長野盆地においても稲作が行われるようになり、農耕文化が根付きはじめました。
水内坐一元神社遺跡(柳原地区)からは、防御用の大溝で囲まれた集落、いわゆる環濠集落が確認されており、この時代の人々が争いから身を守るための知恵を持っていたことがわかります。
弥生時代後期になると、「箱清水式土器」と呼ばれる赤い土器が使われはじめ、長野盆地を中心に独自の文化圏「赤い土器のクニ」が形成されたと考えられています。
4世紀中頃には、千曲川を見下ろす丘陵地に大型の前方後円墳が築かれました。篠ノ井石川の川柳将軍塚古墳や若穂保科の和田東山3号墳などが代表的です。これらは、地域の有力者がヤマト政権の一員として権力を持っていたことを示しています。
その後、5世紀中頃には大室地区に集中して古墳が築かれるようになり、大室古墳群は500基を超える規模となります。これらの古墳は、朝鮮半島と交流を持った人々の墓であると考えられています。
「シナノ」と呼ばれたこの地域は、4世紀前半にはすでにヤマト政権の支配下にあり、712年編纂の『古事記』では「科野」、720年の『日本書紀』では「信濃」と表記されるようになり、704年の大宝令によって「信濃」という表記が正式に定められたと考えられています。
長野市を語る上で外せないのが、善光寺と戸隠神社の存在です。善光寺は平安時代の文献『僧妙達蘇生注記』にその名が登場し、地方有力寺院としての地位を築いていました。一方、戸隠神社は11世紀の『能因歌枕』に歌枕の地として登場し、全国に知られるようになりました。
1180年、木曽義仲は平家討伐のために挙兵し、信濃へ進出しました。養和元年(1181年)の「横田河原の戦い」では、義仲が北信濃の豪族たちの支援を受けて勝利を収めました。
善光寺は治承3年(1179年)に焼失しましたが、源頼朝の命により1189年に再建されました。その後も北条氏が篤く信仰したことで、鎌倉時代には全国から参詣者が訪れ、門前町として発展していきます。
鎌倉幕府滅亡後、北条時行が諏訪氏とともに信濃で挙兵し、中先代の乱が発生します。その後も南北朝の争乱が続き、長野市域は度重なる戦場となりました。
1399年には足利義満が小笠原長秀を信濃守護に任命したことで、地元の村上氏と対立し「大文字一揆」が勃発。最終的に小笠原氏は敗れて京都へ退くこととなりました。
戦国時代において特筆すべきは、武田信玄と上杉謙信による「川中島の戦い」です。1553年から5度にわたる戦いの中で、特に1561年の激戦は有名です。この戦いは、地域の寺社にも大きな影響を与えました。
善光寺の本尊・善光寺如来は、信玄から勝頼、さらに織田信長、徳川家康、豊臣秀吉の手に渡り、44年間の流転の末にようやく善光寺へ戻ります。この混乱の中、善光寺門前町も一時衰退しました。また、戸隠神社は文禄3年(1594年)まで避難を強いられました。
武田氏の滅亡後、長野市域は一時的に織田領となり、その後上杉氏が支配を続けました。川中島の武田方拠点であった海津城は、江戸時代には松代藩の中心地・松代城として発展します。
江戸時代には、北国街道が整備され、中山道から分岐して善光寺を経由する主要ルートとして利用されました。この道は、参勤交代だけでなく、佐渡の金銀を江戸に運ぶ「御金荷」輸送路としても重要でした。
当時、長野市域の多くは松代藩領に属し、善光寺や戸隠山などの寺社領、また飯山藩や須坂藩、上田藩の知行地が存在しました。松代城は、もとは海津城として築かれましたが、後に城下町として整備され、北信濃支配の拠点となっていきました。
このように、長野市は古代から現代に至るまで、地域の要衝として歴史を刻み続けてきました。善光寺や川中島の戦いなど、多くの歴史的出来事が交錯する地として、今日も多くの人々の関心を集めています。
長野市は、長野県の県庁所在地として、官公庁が集中する行政の中心地です。このため、卸売業を中心とした商業が発展してきました。現在では、卸売業、小売業、宿泊業、飲食サービス業など、多様な企業が集積しています。特に、飲食料品小売業や飲食店が多く、地域の生活を支えています。
工業面では、食料品、印刷業、生産用機械器具の企業が多く、製造品出荷額では、電子回路基板、みそ、無線通信機械器具、オフセット印刷、電子計算機(パソコンを除く)などが上位を占めています。明治以降、印刷業が発展し、現在でも多くの企業が活動しています。また、昭和初期から戦争中の疎開により移転してきた電子機器関連の企業も、戦後に大きく発展しました。
食料品製造業では、「みそ」をはじめ、惣菜、精米・精麦などが製造されており、自然豊かな長野市の気候風土を反映しています。
長野市に本社を置くホクト株式会社は、きのこの年間売上高、ブナシメジの生産シェア、エリンギの生産シェアで日本一を誇ります。
市内に本社を置く日穀製粉株式会社は、そば粉とそば茶の生産量で日本一です。
長野市の小賀坂スキー製造所は、日本最古のスキーメーカーとして知られています。
善光寺は、約1400年前に創建された歴史ある寺院で、本堂は国宝、山門は重要文化財に指定されています。境内には多くの建築物や仏像があり、参拝者を迎える宿坊も多数存在します。仲見世通りには50以上の店が並び、門前町の風情を楽しめます。
松代藩の城下町として栄えた地域で、松代城や文武学校、旧横田家住宅などの歴史的建造物が残っています。真田家ゆかりの真田邸や長国寺、象山神社、象山地下壕など、多くの史跡があります。
武田信玄と上杉謙信の戦いで知られる川中島古戦場史跡公園があります。御厨戸部伊勢社の「おたや祭り」も有名です。
長野市茶臼山動物園、茶臼山恐竜公園、茶臼山自然植物園など、家族で楽しめる施設が充実しています。また、長野オリンピックの開閉会式が行われた南長野運動公園もあり、スポーツの聖地として親しまれています。
飯綱高原は、飯縄山の麓に広がるリゾート地で、スキー場やキャンプ場、大座法師池などのレジャー施設があります。夏には「飯綱火まつり」が開催され、花火大会も楽しめます。
戸隠神社は、奥社、中社、宝光社、九頭竜社、火之御子社の五社からなり、山岳信仰の中心地です。奥社への参道は、樹齢約400年の杉並木が続き、荘厳な雰囲気を醸し出しています。また、鏡池や戸隠牧場など、自然と触れ合えるスポットも豊富です。
豊かな自然と伝統文化が息づく地域で、奥裾花自然園では81万本ものミズバショウが群生しています。秋には紅葉が美しく、鬼女紅葉祭りも開催されます。
琅鶴湖では屋形船遊覧が楽しめ、秋には久米路峡の紅葉が見事です。また、ジンギスカン料理が名物で、国道19号線沿いには多くの料理店が並び、「ジンギスカン街道」と呼ばれています。その他、美術館や博物館も点在しています。
国民宿舎 松代荘は、豊かな自然の中でくつろぎのひとときを提供する温泉宿です。豊野温泉 りんごの湯では、りんごの香りとともに癒される温泉体験ができます。温湯温泉 湯~ぱれあは地元の人々にも愛される公共温泉施設で、広々とした湯船が特徴です。また、戸隠神告げ温泉は戸隠神社の近くに位置し、参拝後の癒しに最適です。加賀井温泉は歴史ある秘湯として知られ、静かな環境で心身ともにリラックスできます。
信州三十三観音札所には、市内10か所の霊場が選ばれ、信仰の地として親しまれています。また、善光寺の鐘は「日本の音風景100選」に選ばれ、その響きは訪れる人々の心に深く残ります。さらに、棚田百選には大岡地区、信州新町、中条地区の7か所の美しい棚田が認定されています。
「信州のサンセットポイント」としては、「妻女山展望台」「松代町~若穂千曲川右岸堤防」「城山公園」「芦ノ尻道祖神」「鏡池」などが選ばれ、幻想的な夕景を楽しむことができます。また、日本ウォーキング協会からは「歩きたくなるみち500選」として「牛に引かれて善光寺参り、展望のみち」が認定されました。
他にも、松代城は「日本100名城」に、城山公園堀切沢は「甦る水100選」に選ばれ、歴史と自然の融合が高く評価されています。
信州牛は、霜降りと赤身のバランスが絶妙で高級和牛として人気です。長芋は松代地区を代表する特産で、粘り気が強く栄養豊富です。綿内れんこんは若穂綿内で栽培され、柔らかく煮物に適しています。その他にも、戸隠大根や、酒粕と合わせて食されるおかわさび(信州新町産)も特産です。
マコモタケは豊野地区で収穫される珍しい野菜で、シャキシャキとした食感が特徴です。長野市は果物の栽培にも非常に適しており、りんごは全国2位の生産量を誇り、家庭での消費量も日本一となっています。その他、川中島白桃や川中島白鳳、「なつっこ」「黄金桃」などの桃も人気です。
さらに、長野市はネクタリンやプルーンの生産も盛んで、日本の収穫量の多くを占めています。その他、ぶどうやなしなども収穫され、フルーツ王国としての魅力を持ちます。
信州そばは「戸隠そば」「門前そば」「鬼無里そば」「大岡そば」「信州新町左右高原のそば」など、各地域で異なる風味と歴史を持ち、訪れる人々の舌を楽しませます。
また、八幡屋磯五郎の七味唐辛子は日本三大七味の一つに数えられ、善光寺界隈で特に親しまれています。善光寺精進料理は、39の宿坊でそれぞれ異なる味を楽しむことができます。
ジンギスカンは信州新町で有名で、国道19号は「ジンギスカン街道」として知られています。さらに、市内には老舗味噌蔵が多く、信州みそは日本の味噌消費量の4割を占めると言われています。
地酒も豊富で、「よしのや」「今井酒造店」「酒千蔵野」「尾澤酒造所」「西飯田酒造店」「大信州酒造」「東飯田酒造店」などが名を連ねています。
松代焼や戸隠竹細工などの伝統工芸も健在で、訪問者に深い文化体験を提供しています。
郷土食としては、「おしぼりうどん」「お煮かけ」「うすやき・せんべい」「丸なすのおやき」「丸なすのしん焼き」「はたきなす」「おぶっこ」「やしょうま」「こりんと」「大豆のてんぷら」「おとうじ」「えご」「つるしがき(干し柿)」「つけば」など、多彩な料理が楽しめます。
長野市では、一年を通じてさまざまな祭りやイベントが開催されます。「弥栄神社の御祭礼(ながの祇園祭)」「長野びんずる祭り」「松代藩真田十万石まつり」「長野灯明まつり」「善光寺花回廊」などが有名です。
また、「ろうかく梅園花祭り」「長野マラソン」「仏都花祭り」「おたや祭り」「飯綱火祭り」「善光寺お盆縁日」「信州新町納涼大会」「川中島古戦場まつり」「長野えびす講煙火大会」なども地域に根差した催し物として賑わいを見せています。
長野市周辺には多くの伝説が語り継がれています。善光寺には多くの伝承があり、信仰の中心として人々を惹きつけてきました。
また、天岩戸伝説では、天照大神が隠れた岩戸が飛ばされた先が現在の戸隠であるとされています。
ダイダラボッチ伝説では、飯縄山に座った巨人ダイダラボッチが一歩踏み出した際に湿地に足を取られ、それによって大座法師池ができたと伝えられています。
鬼女紅葉伝説は、平安時代に京から水無瀬へ追放された紅葉という女性が妖術を使って村を荒らしたというもので、最終的には北向観音に祈願した平維茂が退治に成功し、地名が「鬼無里」となったとされています。
さらに、一夜山の鬼伝説では、鬼たちが都の建設を妨げるために一夜で山を作ったとされ、その山は今でも「一夜山」と呼ばれています。