湯福神社は、長野県長野市箱清水三丁目に鎮座する由緒ある神社です。古くから地域住民に親しまれ、長野市の精神的支柱である善光寺を護る神社のひとつとして知られています。社格は郷社であり、また「善光寺三鎮守(善光寺三社)」および「善光寺七社」のうちの一社にも数えられています。
湯福神社は、善光寺の本堂から北西方向へ徒歩数分の位置にあります。周囲は落ち着いた住宅地に囲まれ、神社の境内には荘厳な雰囲気が漂います。神社の御祭神は建御名方神(たけみなかたのかみ)で、これは諏訪大社と同じ神を祀るものであり、周辺の武井神社・妻科神社・健御名方富命彦神別神社(城山県社水内大社)と共に諏訪系の神社とされます。
これら4つの神社では、寅年と申年に「御柱祭(おんばしらさい)」が持ち回りで開催されます。この御柱祭は、諏訪大社を中心に行われる長野県内有数の大祭であり、木柱を神社の境内に建立することで、神域を清めるとともに神々への祈りを捧げます。湯福神社の境内にも、堂々と立てられた御柱があり、訪れる人々の目を引きます。
湯福神社の神紋は「梶の葉」で、これも諏訪大社と同じものです。これは、神の加護を象徴する神聖な意匠とされています。この梶の葉にちなんで、近隣にある長野県長野西高等学校では「梶の葉抱く弦月(げんげつ)」を校章としています。このように地域の文化や教育にも神社の存在が深く根づいていることがわかります。
湯福神社の境内で特に注目すべき場所は、善光寺の開基と伝えられる「本田善光」の廟(びょう)です。境内には彼の墓とされる大きな石が祀られており、「御宝塚(おたからづか)」と呼ばれています。この石は1921年(大正10年)10月に境内から人骨とともに発見され、本田善光の墓ではないかと推定されています。2007年(平成19年)には、この石を祀る立派な廟が完成し、訪れる人々に深い感動を与えています。
境内には、樹齢およそ700〜900年とされる巨大なケヤキの木が3本あります。これらは1967年(昭和42年)に長野市指定天然記念物として登録されました。中でも、参道を挟んで本殿前に並び立つ2本のケヤキは、まるで神域への門を成すかのような存在感を放っています。もう1本は境内西側にそびえ、訪れる人々に自然の悠久を感じさせます。
湯福神社は善光寺の裏鬼門(北西方向)に位置しており、古くからこの地に神社を置くことで善光寺を守護するとされてきました。特に善光寺表参道の西側15町を氏子地域としており、東側の氏子地域を担当する武井神社と並び、地域全体の信仰を支える役割を担っています。
湯福神社の長い歴史の中で、大きな転機となったのが1847年(弘化4年)に発生した善光寺地震です。この地震により社殿が崩壊し、神社は一時的に荒廃しました。しかし、氏子や地域住民の尽力により1862年(文久2年)には現在の本殿および拝殿が再建され、現在に至るまでその姿を保ち続けています。
湯福神社へは、JRおよび長野電鉄の長野駅からアクセスが可能です。アルピコ交通(川中島バス)の11・16・17系統に乗車し、「善光寺北」バス停で下車すると、徒歩数分で神社に到着します。
湯福神社は、善光寺を護る神社の一つとして地域に根ざした信仰を今に伝える貴重な存在です。歴史・信仰・自然・文化が調和するこの地は、観光だけでなく心を癒す静かなひとときを過ごすのにも最適です。善光寺を訪れた際は、ぜひ北西に足を延ばし、湯福神社の穏やかな空気と深い歴史に触れてみてください。