信州善光寺仲見世通りは、長野県長野市に位置する善光寺の仁王門から山門へと続く参道沿いに形成された、趣ある石畳の商店街です。約400メートルにわたるこの通りには、宿坊や飲食店、土産物店など約50軒が立ち並び、古くから参拝客や観光客に親しまれています。
仲見世通りの周辺には、なんと39もの宿坊が点在しており、それぞれが住職のいる独立した寺院として、参拝者を迎え入れる役割を果たしています。これらの宿坊は、単なる宿泊施設ではなく、善光寺如来を守る重要な宗教施設としての側面も持っています。
仲見世通りの始まりは、中世、鎌倉時代にさかのぼります。当時、善光寺の境内では大道商人や立売りが商売を始めるようになり、蕎麦やおやきといった地元の味が参拝者に提供されていたと伝えられています。こうした商売の盛り上がりとともに、善光寺門前には「門前町」と呼ばれる商業地が自然発生的に形成されていきました。
現在の仲見世通りの場所は、かつて善光寺如来堂(金堂)があった地です。しかし、人家に近い場所にあったため度重なる火災の被害を受け、1694年(元禄7年)には本堂が北側へ移転されました。この移転後、空いた土地に商人が集まり、市場のような雰囲気の中で商売が営まれるようになります。
特筆すべきは、1714年(正徳4年)に江戸の豪商・大竹屋平兵衛が金300両を寄進し、仲見世通りに敷かれたと言われる7777枚の石畳です。この石畳は現在も通りの趣を感じさせる象徴的な景観となっています。
明治時代に入ると、善光寺門前の仲見世通りは仮設店舗から常設店舗へと姿を変え、1873年(明治6年)には「元善町」と改称されました。また、1888年には長野駅が開業し、善光寺への参拝者が全国から訪れるようになりました。
これに伴い、土産物店、旅館、飲食店、衣料品店などが次々と開業し、仲見世通りは地域の生活拠点であると同時に一大観光スポットとしての地位を確立していきました。
大正から昭和初期にかけての戦時下では、参拝者の減少や統制経済の影響を受け、仲見世通りの多くの店舗が閉業に追い込まれました。しかし戦後、高度経済成長の波に乗り、善光寺への観光・参拝者数が再び増加したことで通りも活気を取り戻します。
観光バスやマイカーによるアクセスが可能となり、大型駐車場も整備されるなど、インフラの整備が進んだことで、現在では長野市観光の中心的な場所として多くの人々を迎え入れています。
JR東日本・信越本線「長野駅」からは、善光寺口1番乗り場よりアルピコ交通の以下の路線をご利用いただけます:
いずれも「善光寺大門」バス停で下車、運賃は150円均一、所要時間は約10分です。
長野電鉄長野線「善光寺下駅」下車後、徒歩で善光寺や仲見世通りにアクセスすることも可能です。
長野市は、もともと鎌倉時代以降に形成された善光寺門前町を基盤として発展してきた都市です。古くは善光寺周辺の傾斜地一帯が「長野」と呼ばれており、やがて「善光寺平」として地域全体を指す名称にもなりました。
江戸時代には、善光寺参道は北国街道の一部に組み込まれ、宿場町「善光寺宿」としての機能も担うようになります。本陣、脇本陣、問屋が設置され、また30軒もの旅籠が参拝者を迎えていました。
「善光寺町」という名称は、正式な村名である「長野村」内の町場を総称した地名として用いられ、時には隣接する村の町場化区域も含めて「善光寺町」と呼ばれることもありました。
善光寺町は、町年寄が管理する「八町」とその枝町、大勧進・大本願の支配下にある「両御所前」、さらに堂庭などで構成されていました。
これらの町はそれぞれ庄屋や本陣家によって管理され、商業や宿場機能が維持されてきました。
信州善光寺仲見世通りは、単なる商店街ではなく、善光寺を中心とする長野の歴史や文化、信仰の流れを今に伝える貴重な存在です。古の門前町の面影を残しつつ、現代の観光にも対応した姿は、多くの人々の心を惹きつけてやみません。善光寺を訪れる際は、ぜひ仲見世通りをゆっくりと散策し、歴史と人情が息づく風景をご堪能ください。