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長国寺(長野市)

(ちょうこくじ)

松代藩・真田家の菩提寺としての歴史と格式

長国寺は、長野県長野市松代町松代に位置する、曹洞宗に属する由緒ある寺院です。山号は真田山、本尊には釈迦牟尼仏を安置しており、松代藩主・真田家の菩提寺として知られています。

創建当初は、総門、禅堂、開山堂、江湖寮(3棟)、衆寮、庫裏などを備え、東西約130m、南北約260mという壮大な規模を誇っていました。その敷地内には格式ある伽藍が立ち並び、禅宗寺院としての厳かな雰囲気が漂っていたと伝えられています。

創建とその歴史的背景

戦国時代から江戸初期へ ― 真田家との深いつながり

長国寺の前身は、天文16年(1547年)、真田幸隆が開基となり、伝為晃運を開山として、信濃国小県郡真田(現在の長野県上田市真田町)に建立された「長谷寺」に始まります。

江戸時代に入り、元和8年(1622年)に初代松代藩主・真田信之が松代に移封されると、その移転に伴い、長谷寺の住職を開山として現在地に移築され、長国寺として新たに建立されました。以降、真田家の菩提寺として重要な役割を担い、200石の黒印地も与えられていました。

信濃曹洞宗の中心寺院として

寛永5年(1628年)には、信濃国曹洞宗の僧録所に指定され、修行僧のための道場としても栄えました。さらに慶安2年(1649年)には、江戸幕府より朱印地100石が安堵され、寺院としての地位をさらに確固たるものとしました。

度重なる災害と復興

長国寺は、その長い歴史の中で度重なる災害に見舞われてきました。享保2年(1717年)には火災で伽藍を全焼、寛保2年(1742年)の「戌の満水」と呼ばれる洪水では本堂が大破。文化7年(1810年)にようやく復元されたものの、明治5年(1872年)には再び本堂から出火し、多くの寺宝や経巻、古文書などが焼失してしまいました。

その後、明治19年(1886年)に再建された本堂は現在も残っており、庫裏はかつて松代藩の文武学校の槍術所を移築したものが使用されていましたが、平成9年(1997年)には元の場所に再移築され、新しい庫裏が建てられました。

真田家の霊屋と墓所

幕末まで残った江戸時代の霊屋

長国寺の敷地内には、江戸時代に建立された霊屋がいくつもあり、現在も以下の3棟が残っています。

特に真田信之霊屋は、入母屋造で、千鳥破風と唐破風を持つ向拝を備え、内部外部ともに極彩色と美しい装飾彫刻が施されています。表門とともに国の重要文化財に指定されています。

真田家歴代の墓所と供養塔

真田信之霊屋の裏手には、松代藩主真田家の墓所があり、真田幸隆・信綱・昌幸の供養塔をはじめ、信繁(幸村)・大助親子の供養塔も大正時代に建立されています。

また、松代藩士の墓も多く残されており、次席家老・小山田家の墓、家老恩田民親の墓、幕末の家老・真田志摩の墓、さらには囲碁の名人・関山仙太夫の墓や、エノキタケの栽培に成功した長谷川五作の墓などが並び、歴史的な重みを感じさせます。

文化財と史跡指定

国指定の重要文化財と史跡

長国寺には以下の重要な文化財や史跡が存在します。

長野県宝と市指定史跡

沿革年表

創建から現在までの歩み

おわりに

長国寺は、単なる寺院にとどまらず、松代藩の歴史真田家の系譜、そして信州の仏教文化を語る上で極めて重要な存在です。静かな松代の町に佇むその風格は、訪れる者に深い歴史の余韻と荘厳な空気を感じさせます。

長野市を訪れた際には、ぜひこの歴史的な名刹・長国寺を訪ね、悠久の時間に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。

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長国寺(長野市)
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