智識寺は、長野県千曲市大字上山田に位置する、真言宗智山派に属する由緒ある寺院です。山号は「清源山(せいげんざん)」と称し、本尊には十一面観世音菩薩をお祀りしています。千曲川の穏やかな流れと信州の自然に包まれたこの寺院は、古くから信仰を集める霊場として人々の心の拠り所となってきました。
智識寺の創建は、奈良時代の天平12年(740年)と伝えられています。非常に長い歴史を有しており、古代から中世にかけて信濃の地における仏教文化の中心として大きな役割を果たしてきました。伝承によれば、大同2年(807年)には征夷大将軍坂上田村麻呂によって堂宇が改修されたとも言われています。
鎌倉時代には、鎌倉幕府初代将軍である源頼朝の篤い信仰を受け、建久9年(1209年)には七堂伽藍の建立と共に仁王像が寄進されました。また、室町時代には当地を治めた村上氏の庇護を受け、天文10年(1541年)には僧・廣意によって現在の本堂が再建されるなど、宗教文化の中心として発展を遂げました。
その後、村上氏が武田信玄に滅ぼされると、一時期は寺勢が衰退しました。しかし、天正11年(1583年)には、かつて別当寺であった法華寺が屋代氏の命で移転したことにより、智識寺が新たに別当寺としてその役割を担うことになります。さらに、慶長14年(1609年)には、冠着山から現在の地へと移転され、現在に至ります。
江戸時代には、松代藩の歴代藩主から手厚い保護を受け、文政年間(1818年〜1830年)には、大御堂の修復が行われるなど、寺院としての維持と再興が進められました。このように、智識寺は時代の変遷を超えて、多くの権力者や信仰者の支えによって今日まで続いてきた貴重な寺院です。
智識寺の象徴的な建築物である「大御堂」は、室町時代後期に建立された仏堂で、寄棟造・茅葺という日本伝統の建築様式を今に伝えています。特に特徴的なのは、「妻入(つまいり)」と呼ばれる構造で、寄棟屋根の三角面を正面に持つ形式は、仏堂としては非常に珍しい設計です。
この建物は、明治40年(1907年)に特別保護建造物に指定され、現在は国の重要文化財として保護されています。その重厚な佇まいと歴史を感じさせる木造の構造は、訪れる人々に強い印象を与えています。
境内には、室町時代建立の仁王門があり、内部には同時代に造られた木造金剛力士立像が安置されています。この門は、千曲市の有形文化財として指定されており、参拝者を迎える重厚な門構えは、寺の歴史的価値を象徴しています。
智識寺には多くの貴重な仏像が伝えられており、以下のような文化財が確認されています。
境内には、古墳時代後期に築かれたとされる直径8m・高さ2mの古墳も存在しています。この古墳は昭和62年に千曲市指定史跡となりました。内部構造については未調査ながら、伝承によると横穴式石室があると考えられており、仏教伝来以前の文化とも接点を持つ貴重な史跡です。
千曲市にある智識寺は、奈良時代から続く悠久の歴史と、数々の文化財・建築物を有する由緒正しい寺院です。信州の穏やかな自然と調和した境内は、訪れる者に安らぎと歴史の重みを感じさせます。
重要文化財に指定された大御堂や平安・室町時代の仏像群、さらには古墳時代の遺構までを内包するこの寺院は、宗教的・文化的・歴史的価値が極めて高いものです。千曲市を訪れる際には、ぜひ一度足を運び、この地に息づく信仰と歴史に触れてみてはいかがでしょうか。