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修那羅峠

(しゅなら とうげ)

長野県の霊地・文化と信仰が息づく峠道

修那羅峠(しゅならとうげ/しょならとうげ)は、長野県小県郡青木村と東筑摩郡筑北村との境に位置し、標高914メートルの高さを誇る山間の峠です。古来より信濃地方の交通・文化の要衝として知られ、小県地方と麻績地方を結ぶ重要なルートとして利用されてきました。峠には現在も主要地方道・丸子信州新線が通り、四季折々の風景とともに訪れる人々を魅了しています。

「修那羅」「しょなら」両方の読みがある名

地図や公式資料では「しゅならとうげ」と表記されることが多い一方、地元では「しょならとうげ」と呼ばれることが一般的です。この呼称は北信地方特有の方言的な音韻が影響しているとされ、地元の人々に親しまれている表現です。

神聖な地としての修那羅峠

安宮神社と修那羅大天武の伝説

修那羅峠の近くには、標高1,037メートル地点に安宮神社(やすみやじんじゃ)があります。この神社は、江戸時代末期から明治初年にかけてこの地で修験道を行った行者・修那羅大天武(しょならだいてんぶ)によって開かれました。彼は1860年(万延元年)にこの地に入り、修験場を築き、地元の信仰を一身に集めました。神社は現在も大国主命修那羅大天武命を御祭神としています。

信仰のかたち:860体の石仏・石神群

安宮神社の境内には、信者たちの寄進により集められた860体以上の石造神仏が林の中にひっそりと佇んでいます。これらの石像は高さ30~60cm程度で、善光寺平・小県・安曇野・松本方面から訪れた信者たちによって寄進されたものです。神仏習合の影響を色濃く残すこれらの像は、悪霊神、猫神、蚕神、狼神、大日如来、地蔵など多種多様で、明治時代初期に至るまでに造られたものとされています。

安産・子育て祈願の信仰地

修那羅峠と安宮神社は、古くから子安神(おんながみさま)を祀る安産・子育ての祈願所としても知られてきました。母なる大地の神に感謝し、子どもの健やかな成長を願って多くの人々がこの地を訪れます。

修那羅峠の地理と水源

二つの水系の源流地

修那羅峠は信濃川水系に属する安坂川の源流地点でもあり、筑北村方面へ流れ、麻績川と合流します。一方、青木村側には修那羅川が流れ、やがて浦野川から千曲川(信濃川)へと注がれていきます。自然環境に恵まれたこの峠は、水の恩恵にも深くつながっています。

修那羅峠の名称の由来

「石の峠」を意味する地名の語源

「修那羅」という名称は、梵語の「アシュナ」(ashu-na=石)と、チベット語の「ラ」(峠)に由来する合成語で、「石の峠」を意味します。古くは「須那羅」とも記され、また『日本書紀』に登場する「素那羅の人々」がこの地に定着したという説や、朝鮮半島からの渡来人が伝えた地名という学説もあります。

現代における信仰と観光地化

修那羅様への参道としての名

もともとは「安坂峠(あざかとうげ)」と呼ばれていたこの峠も、修那羅大天武の活動を通じて「修那羅様」への参道として親しまれ、いつしか「修那羅峠」と呼ばれるようになりました。

昭和・平成を通しての再評価

1964年には信越放送の広報誌『日本の屋根』にて紹介され、修那羅峠は広く知られるようになりました。1969年には筑北村文化財に「修那羅山安宮神社石神仏・木神仏」として登録され、1992年には長野県観光みどころ百選(史跡部門)にも選定されています。

季節の魅力:春の桜と初夏の花

修那羅峠のもう一つの魅力は、桜の名所であることです。5月中旬になると、境内の桜が満開となり、幻想的な風景を作り出します。また、6月上旬から中旬にかけてはミヤコワスレの可憐な花が境内に彩りを添え、訪れる人々の心を癒します。

アクセス情報

車や公共交通機関でのアクセス

自家用車利用の場合:
・長野自動車道「麻績IC」から約12分
・上信越自動車道「上田菅平IC」から約50分

タクシー利用の場合:
・JR東日本「篠ノ井線」聖高原駅より約12分

周辺観光スポット

まとめ

修那羅峠は、自然の美しさ、歴史の深さ、そして人々の信仰が融合した、長野県を代表する神秘的なスポットです。石仏群と安宮神社をめぐる静かな山道は、心を癒し、歴史と信仰を体感できる貴重な場所です。訪れる際には、季節ごとの花や祭事にも注目しながら、ゆっくりとした時間を過ごしてみてはいかがでしょうか。

Information

名称
修那羅峠
(しゅなら とうげ)

諏訪・蓼科・八ヶ岳

長野県