高島城は、長野県諏訪市高島にかつて存在した日本の名城であり、その美しい姿から「諏訪の浮城」とも呼ばれていました。信濃国諏訪郡に築かれたこの城は、戦国から江戸時代にかけての歴史の流れを映し出す重要な史跡として知られています。
その堅固さから難攻不落の城として知られていました。諏訪湖に突き出た水城で、その独特な立地から日本三大湖城の一つに数えられており、城の歴史的価値は非常に高いです。現在は「高島公園」として整備され、市民や観光客がその歴史と自然を楽しめる名所となっています。
高島城は、連郭式平城という形式を採用した城郭で、かつては諏訪湖に突き出すように建てられた水城でした。その姿が湖に浮かんで見えたことから「諏訪の浮城」と称され、日本三大湖城の一つにも数えられています。江戸時代初期の干拓によって湖岸線が後退したため、現在では水城の面影は失われましたが、その優雅な姿は今も人々の記憶に残っています。
築城は戦国武将日根野高吉によって行われ、総石垣造の堅固な構えに、8棟の櫓、6棟の門、そして3重の天守を備えた立派な城郭が築かれました。しかし諏訪湖畔は地盤が軟弱であったため、木材を筏状に組み、その上に石垣を築くという当時最先端の技術が用いられました。それでも度々石垣の修繕が必要だったと伝えられています。
高島城の築城はわずか7年という短期間で進められたため、地元では「過酷な労役に苦しんだ」との伝承が残っています。また、石材の確保のために近隣の城である金子城の石や、さらには墓石や石仏まで転用されたとされ、「転用石」として今もその痕跡を垣間見ることができます。
中世、諏訪郡を治めていた諏訪氏は、現在の高島城の北方にある茶臼山に城を築き、「茶臼山城」として居城にしていました。しかし、武田信玄による諏訪氏滅亡後、この地は武田家の家臣である板垣信方が治めることになります。その後、長坂虎房、山本勘助らが高島城の改修に関わったとされ、武田氏の信濃支配の拠点として重要な役割を担いました。
武田氏滅亡後、織田信長の家臣河尻秀隆が諏訪郡を支配し、配下の弓削重蔵がこの地を治めました。しかし、本能寺の変後に起こった「天正壬午の乱」により、諏訪郡の領主は再び変動します。諏訪頼忠が一時期金子城を築き拠点としましたが、やがて日根野高吉がこの地を治め、現在の高島に新しい城を築き上げたのです。
1592年(文禄元年)から1598年(慶長3年)にかけて、日根野高吉は諏訪湖畔の高島村に新たな高島城を築城しました。湖畔の村人を立ち退かせ、小和田へ移住させる代わりに漁業権や賦役免除などの特権を与えたといわれます。また、上原城付近に住んでいた商人や職人を移住させ、上諏訪の城下町の基盤を築き上げました。
1601年(慶長6年)、日根野氏が下野国壬生に転封となると、諏訪頼水が2万7千石で入封し、再び諏訪氏の治世が始まります。この諏訪氏による統治は明治維新まで続きました。江戸時代には藩の政庁および藩主の居城として機能し、1786年(天明6年)には石垣などの補修も行われています。
寛永3年(1626年)には、徳川家康の六男松平忠輝がこの城に幽閉され、南の丸が監禁場所として増設されました。のちには吉良義周など幕府により預けられた流人の監禁にも使用され、不要となった後は薬草の栽培地となりました。
明治維新後の廃藩置県により高島城は高島県庁舎として利用されましたが、1875年(明治8年)には天守閣など主要な建造物が取り壊され、石垣と堀だけが残されました。翌1876年(明治9年)には跡地が「高島公園」として一般公開され、1900年(明治33年)には諏訪護國神社が建立されました。
1970年(昭和45年)には、本丸に天守・櫓・門・塀が復元され、再び城としての姿を取り戻しました。現在の天守は鉄筋コンクリート造で、熊谷組によって施工され、内部は資料館として一般公開されています。屋根は当初の檜板葺き(柿葺)ではなく銅板葺きとなり、耐久性が向上しました。
本丸の石垣や堀は現在も良好に保存され、三の丸にあった城門の一部は温泉寺や浄光寺の山門として移築されています。また、能舞台は温泉寺の本堂の一部として活用されており、当時の風情を伝えています。
所在地:長野県諏訪市高島1丁目20
交通:JR中央本線「上諏訪駅」から徒歩約10分、中央自動車道「諏訪IC」から車で約15分。
駐車場:無料(14台)
高島城は、その美しい天守とともに、諏訪湖を望む絶景スポットとして人気があります。春には桜が咲き誇り、夏には湖面に映える緑、秋の紅葉、冬の雪景色と、四季折々の姿を楽しむことができます。園内には散策路やベンチが整備され、歴史を感じながらのんびりとした時間を過ごせる憩いの場です。
また、2017年(平成29年)には「続日本100名城」(130番)にも選定され、歴史ファンや城郭研究者からも注目を集めています。
高島城は、かつて「諏訪の浮城」と称されたほどの美しさを誇る名城であり、その歴史は戦国時代から近代日本に至るまで、諏訪地域の発展と深く結びついています。現在も復興天守や公園として多くの人々に親しまれ、歴史と自然、そして文化が調和した場所として、訪れる人々の心を静かに魅了し続けています。
9:00~17:30
12/26~12/31
大人 310円
小人 150円
諏訪ICから車で8分[3km]
JR中央本線上諏訪駅から徒歩10分