洩矢神社は、長野県岡谷市川岸東橋原区に鎮座する由緒ある神社で、古くから諏訪地域の信仰と深く関わってきた社です。旧社格は村社であり、かつての橋原村の産土神として、地域の人々に厚く信仰されてきました。
この神社の祭神である洩矢神(もりやのかみ)は、諏訪地方の神話に登場する神であり、諏訪大社の御祭神・建御名方神(たけみなかたのかみ)と深い関わりを持ちます。神話に伝わる「諏訪明神入諏伝承」によれば、洩矢神はこの地を治めていた土着の神でしたが、外から来た建御名方神と戦い、敗れてその臣下となったといわれています。
この物語は、古代信仰の変遷を象徴する重要な伝承とされており、洩矢神社はまさにその舞台の一端を今に伝える神社なのです。
洩矢神社の創建年代は不詳ですが、社の周辺には縄文時代に遡る複数の遺跡が確認されており、非常に古い歴史を持つ土地であることがわかります。現在は天竜川から約200メートルほど離れた場所にありますが、かつては川のほとりに建てられていたと伝えられています。
西南側にある経塚原遺跡は、かつて洩矢神の住居跡と信じられていた場所であり、この地が古代の信仰の中心地であったことをうかがわせます。社の背後には静かな森が広がり、今も神々が宿るような神聖な空気に包まれています。
洩矢神は、諏訪の先住神・国津神の一柱であり、建御名方神がこの地へ進入した際にこれを迎え撃ったと伝えられています。両者の戦いは激しいものでしたが、最終的に洩矢神は降伏し、建御名方神に仕えるようになったといいます。
この伝承は、中世の文献『諏訪大明神絵詞』などにも描かれており、守屋山麓や天竜川の流域が戦いの地であったとされています。特に洩矢神社と、対岸の藤島神社は、それぞれの陣地跡であったと伝わり、今も両社を結ぶ神話の絆が語り継がれています。
また、洩矢神は守矢氏の遠祖とされ、守矢氏は古代から諏訪大社上社の神長官として神事を司ってきました。そのため、洩矢神社は諏訪大社と深い血脈的・信仰的な繋がりを持つ神社でもあります。
洩矢神社にまつわる有名な伝説に「天竜川の藤」があります。昔、洩矢社は天竜川のほとりにあり、その境内にあった藤の木は対岸の藤島神社の藤と絡み合い、まるで橋のように見えるほど繁茂していたといいます。
寛文年間(1661〜1673年)のこと、諏訪藩主が蛍狩りを楽しむため、藤を伐るよう命じました。しかし人々は神の祟りを恐れて誰も手を出しませんでした。そこに一人の男、小石嘉右衛門という者が金銭のために伐採を引き受けたところ、程なく精神に異常をきたし、のちに「半の木」という場所で倒れ亡くなったと伝えられています。
藩主もこの出来事の後、祟りに見舞われたため、洩矢神に謝罪の意を込めて城内に祠を建て奉納しました。しかし、その祠は大きすぎて城門を通らず、やむなく縮小して奉納したとされます。この祠が現在の本殿であり、以来、洩矢神社は藩主から深く崇敬されるようになったと伝わります。
洩矢神は古来より霊験あらたかな神として知られています。特に安産の守り神として信仰され、出産を控えた女性が「底抜けの柄杓(ひしゃく)」を奉納すると安産になると伝えられています。この柄杓は「難産の底を抜く」という意味を持ち、女性たちにとって心強い祈りの象徴でした。
また、除災招福・五穀豊穣のご利益もあるとされ、地域では古くから大切な守護神として厚く信仰されています。
洩矢神社では、年間を通じてさまざまな神事が行われます。
特に御柱祭は諏訪大社との深いつながりを示す重要な行事であり、神社では大社と同じ太さの織旗の使用を許されているほどです。
洩矢神社から約300メートル離れた場所に「洩矢大神御旧趾碑」があります。これは洩矢神の旧居跡を示す石碑で、神長官・守矢実顕による揮毫が刻まれています。かつては経塚遺跡にあったものの、中央自動車道の建設に伴い現在地に移されたものです。
神社から1.3kmほど離れた岡谷市湊には、「龍源山の神」と呼ばれる小祠があります。ここはかつて洩矢神が祀られていたと伝えられ、のちに花岡氏が橋原に移住する際に神を遷座したといわれています。この地には松の木が植えられ、繁茂した枝ぶりから「枝垂山の神」とも呼ばれていました。
洩矢神社へは、JR中央本線岡谷駅から徒歩約15分。市内のシルキーバス「川岸橋原線」に乗り、「洩矢社前」で下車すると徒歩1分で到着します。市街地に近いながらも静かな環境にあり、神話と歴史を感じるひとときを過ごせます。
洩矢神社は、単なる地域の鎮守ではなく、諏訪信仰の原点を今に伝える貴重な存在です。洩矢神と建御名方神の戦いの伝承は、古代日本における神々の交代や信仰の融合を象徴しており、そこには歴史と信仰が交錯する壮大な物語が息づいています。
境内に立つと、静寂の中に古代の神々の気配を感じることができ、訪れる人の心に深い感銘を与えてくれるでしょう。岡谷市を訪れる際には、ぜひこの神秘的な洩矢神社を訪ね、その悠久の歴史に触れてみてください。