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飯島陣屋

(いいじま じんや)

伊那谷の歴史を今に伝える復元の代官所

飯島陣屋は、長野県上伊那郡飯島町にかつて存在した江戸幕府の代官所(代官陣屋)で、信濃国伊那谷の天領を統治する拠点として設けられました。現在の建物は、1994年(平成6年)に行われた発掘調査や古文書調査に基づいて、当時の構造を忠実に復元したもので、「飯島町歴史民俗資料館・飯島陣屋」として一般公開されています。館内には、当時の行政や生活に関する資料が展示され、訪れる人々に幕末から明治初期にかけての地域史をわかりやすく伝えています。

陣屋設置の経緯とその役割

文禄2年(1593年)、三州街道の経路変更に伴って飯島宿が形成され、この地域は交通の要衝として発展しました。江戸時代中期、飯田藩主・脇坂安政の転封によって伊那谷の一部が天領となり、これを統治するために延宝5年(1677年)、飯島の地に代官所として陣屋が設けられました。
当時の飯島陣屋は、代官が執務を行う本陣を中心に、役人の官舎、納屋、長屋など十数棟の建物で構成されていたといわれています。代官は必ずしも常駐せず、他の陣屋(中野陣屋、御影陣屋、駿府代官所など)と兼務しながら伊那谷の行政を担いました。

伊那県設置と陣屋の変遷

幕末の動乱期、慶応4年(1868年)に新政府が成立すると、旧幕府領の管理を目的として伊那県が設置され、その県庁がこの飯島陣屋に置かれました。伊那県は当初、信濃国南部から愛知県東部にかけて広い地域を管轄していましたが、明治2年(1869年)には信濃北部が中野県として分立し、さらに明治4年(1871年)の廃藩置県後は筑摩県に統合されたことで、伊那県も廃止となりました。これに伴い、飯島陣屋も役目を終え、翌年には解体処分されています。

復元と資料館としての再生

その後長い年月を経て、平成6年(1994年)に行われた発掘調査と古文書研究により、陣屋の構造や敷地配置が明らかになりました。これをもとに、当時の建築様式を忠実に再現して飯島陣屋の本陣が復元されました。
復元された陣屋は、現在では飯島町歴史民俗資料館として公開され、当時の行政資料や生活道具、文書、古地図などが展示されています。見学者は建物内で写真撮影が可能で、展示物に手を触れて体験できるなど、歴史に親しみながら学べる工夫がされています。

施設の概要

所在地は長野県上伊那郡飯島町飯島2309番地1にあり、開館時間は9時から17時(入館は16時30分まで)です。休館日は月曜日および祝日の翌日(ただし翌日が土日の場合は開館)、年末年始(12月15日から3月14日)です。
入館料は一般300円(団体割引250円)、小中高生150円(団体割引100円)と、地域の歴史に触れるには気軽に訪れやすい料金となっています。

江戸時代の信濃における行政拠点として

江戸幕府時代、信濃国には飯島陣屋のほかに中野陣屋、中之条陣屋、御影陣屋、塩尻陣屋の五つの代官所が設けられており、それぞれが幕府領の広大な地域を分担して統治していました。伊那谷は特に天領が多かった地域であり、農業の生産管理や年貢徴収、治安維持など、代官所の存在は地域運営に欠かせないものでした。
こうした陣屋制度は、幕府の末端行政を支えた重要な仕組みであり、飯島陣屋もその中核を担っていたのです。

歴史を未来へつなぐ

現在の飯島陣屋は、単なる復元建築ではなく、地域の人々が歴史を保存し次世代へ伝えるための文化遺産としての役割を果たしています。訪れる人々は、ここで江戸から明治への移り変わりを実感し、伊那谷が歩んできた歴史の深さを知ることができます。
また、資料館では定期的に特別展示や歴史講座が開催され、地元の学校教育や観光資源としても活用されています。まさに、飯島陣屋は「生きた歴史の教科書」といえる存在です。

おわりに

飯島陣屋は、江戸時代の行政の中心として伊那谷の発展を支え、明治維新後には新政府の県庁舎となるなど、地域史の重要な舞台を担いました。
今日では、当時の姿を甦らせた資料館として、多くの人々に歴史の重みと文化の尊さを伝えています。静かな町並みの中にたたずむ陣屋の姿は、時代を超えて地域の誇りを象徴し、訪れる人々に深い感銘を与えています。

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名称
飯島陣屋
(いいじま じんや)

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