諏訪大社 上社 前宮は、全国に約25,000社ある諏訪神社の総本社であり、その歴史は非常に古く、旧称は「諏訪神社」とされています。「お諏訪さま」や「諏訪大明神」などの愛称で親しまれ、日本最古の神社の一つとして、その存在感を誇示してきました。また、信濃国の一宮としても知られ、地域の信仰と深く結びついています。
諏訪大社 上社 前宮の社殿は、他の神社とは一線を画す独自の特徴を持っています。社殿の四隅には「御柱」と呼ばれる4本のモミの木柱が建てられ、この配置が神聖な空間を創り出しています。さらに、社殿の建築様式は非常にシンプルで、華美な装飾や塗装は施されておらず、すべて素木造となっています。この簡素さが、逆に神聖さを際立たせ、多くの建物が重要文化財に指定されています。
諏訪大社は、諏訪湖を挟んで南岸に上社、北岸に下社が配置されており、それぞれが独自の役割を担っています。上社には本宮と前宮があり、下社には秋宮と春宮が鎮座しています。興味深いことに、上社と下社の間には社格に序列がなく、対等な関係が保たれています。ただし、上社は本宮と前宮から構成され、古くは本社と摂社の関係にあったとされています。
前宮は、諏訪地方の祭祀の発祥地として非常に重要な位置を占めています。特に、上社最大の神事である御頭祭は、前宮にある十間廊で行われます。この神事は、古来より地域の人々にとって重要な行事であり、その中心地として前宮は不可欠な存在です。
前宮には、いくつかの重要な建物や施設があります。特に、伊勢神宮の古材を使用して建てられた本殿は、その歴史的価値が高く評価されています。また、本殿の隣には、諏訪神(建御名方神)の神陵とされる神陵伝承地があり、この地が神聖な場所として長い間尊ばれてきたことが伺えます。
現在の祭神は八坂刀売神とされていますが、もともとは民間信仰であるミシャグジ信仰によって祀られる精霊、ミシャグジがこの地の神として崇められていたという説もあります。これは、古代の信仰が現代に至るまで形を変えながらも受け継がれてきたことを示唆しています。
前宮は、本宮の南東約2kmの地点に位置し、その境内には水眼川が流れています。上社の中で最も古い社であり、かつては諏訪地方の祭事の中心地でもありました。前宮は、守矢氏の本拠地としての歴史を持ち、後に神氏がこの地に進出し、大祝体制が確立されたことで、大祝に譲られる形となりました。
諏訪大社における大祝の歴史は、非常に古く、当地には初代大祝である有員が初めて大祝に就任して以来、その居館が設けられていました。大祝は、神体と同一視される存在であり、その居館は「神殿」と呼ばれ、周辺は「神原」と称されました。多くの祭事が行われ、摂末社も多く設けられたため、前宮周辺は諏訪地方の政治的な中心地として機能していました。
江戸時代まで、前宮は「前宮社」として上社の境外摂社の中で最も高い社格を有していました。しかし、明治時代以降は、上社の前宮として位置付けられるようになりました。前宮の境内には、上社の祭政一致時代の姿を色濃く残しており、そのため「諏訪大社上社前宮神殿跡」として長野県の史跡に指定されています。
諏訪ICから車で10分[2km]
JR中央本線茅野駅からバスで10分