中山道と甲州街道が交わる交通の要衝として栄えた下諏訪宿。その中心的存在として江戸時代を通じて宿場を支え続けたのが「本陣 岩波家」です。本陣とは、大名や旗本、公家、勅使など身分の高い人々が宿泊した公認の宿舎を指し、宿場町の中でも最も格式の高い建物でした。岩波家は本陣であると同時に問屋も務め、宿場運営の最高責任者として交通や人馬の手配、荷の継立てなどを統括していました。
本陣岩波家住宅は2023年(令和5年)に長野県宝に指定されました。現存する主屋は江戸後期、享和元年(1801年)頃まで遡る建築で、築220年以上の歴史を誇ります。主屋をはじめ、表門・裏門・横門、書庫蔵、炭蔵、一の蔵・二の蔵、味噌蔵、春日神社など計9棟が指定対象となっており、近世の本陣の姿を今日に伝える極めて貴重な文化財です。
1861年(文久元年)、孝明天皇の妹である皇女和宮が14代将軍徳川家茂へ降嫁する際、この本陣に宿泊しました。当時の輿入れは壮大な行列を伴い、下諏訪宿は大きな賑わいを見せたと伝えられています。また、明治天皇も御小休所として滞在されました。現在は、和宮や明治天皇ゆかりの上段の間を見学することができ、当時の調度品に囲まれながら歴史の一幕に思いを馳せることができます。
本陣岩波家の大きな見どころの一つが、「日本庭園100選」にも選ばれた築庭式石庭園です。全国から600個以上の銘石を集め、10年の歳月をかけて築かれた庭園は、深山幽谷の趣を感じさせる壮麗な景観を創り出しています。諏訪大社下社秋宮の森を借景とし、滝の水は承知川から引水されるなど、自然と一体となった設計が特徴です。
庭園の植物は江戸時代からほとんど変わらず、春のツツジ、初夏のアヤメ、秋の紅葉、冬の雪景色と、訪れる季節ごとに異なる表情を見せてくれます。特に雨の日には石庭がしっとりと輝き、格別の風情を味わうことができます。主屋の上段の間から庭を眺めると、まるで一幅の屏風絵を見ているかのような美しさに包まれます。
本陣岩波家の建築は、京風数寄屋造りの洗練を極めた意匠として高く評価されています。中山道は京都と江戸を結ぶ幹線道路であり、公家や諸大名の往来も多かったため、京文化の影響が色濃く反映されています。軒を一本の隅木受け柱で支える大胆な構造や、各部屋の優れた比例美は、桂離宮を思わせるほどの完成度を誇ります。
岩波家の歴史は鎌倉時代に遡ります。信州の名門小笠原氏の流れをくみ、1688年より明治維新まで本陣問屋役を務めました。宿場の運営を担う重責を果たしながら、代々この地を守り続けています。現在も28代当主が実際に住まいながら維持管理を行い、生活と文化財保存を両立させています。
下諏訪宿は中山道六十九次の29番目の宿場であり、甲州街道の終点でもあります。江戸時代には本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠40軒を数え、多くの旅人で賑わいました。さらに中山道唯一の温泉宿場として知られ、古くから温泉を利用する旅人の姿が描かれています。
本陣岩波家を訪れた後は、諏訪大社下社秋宮や春宮、万治の石仏、魁塚など、周辺の史跡を巡るのもおすすめです。中山道と甲州街道の分岐点に立てば、往時の旅人たちと同じ風景を共有していることに気づくでしょう。
JR中央本線下諏訪駅から徒歩約10~15分。中央自動車道諏訪ICから車で約20分、岡谷ICから約15分と、アクセスも良好です。
県宝に指定された建築群と、中山道随一と称される名庭園。皇女和宮や明治天皇が見たであろう景色を、今も同じ場所から眺めることができるのは本陣岩波家ならではの魅力です。江戸時代の息遣いが今なお感じられるこの場所で、下諏訪宿の歴史と文化の深みをじっくりとご堪能ください。