美ヶ原温泉は、長野県松本市の郊外、標高約800メートルの山麓に広がる落ち着いた温泉地です。美ヶ原高原とは直線距離で十数キロ離れていますが、その名を冠するこの温泉は、豊かな自然と歴史の香りが漂う、風情あふれる温泉郷として知られています。
美ヶ原温泉の歴史は非常に古く、なんと奈良時代の初めにまで遡ると伝えられています。古くから山辺の地に湧く温泉は「束間(つかま)の温湯(ぬるゆ)」として『日本書紀』にも記されており、天皇が温泉の別荘を築かせたという記録が残されています。また、平安時代の歌人・源重之がこの湯を詠んだ歌が『後拾遺集』に収められており、その名湯ぶりが古来より人々に知られていたことがうかがえます。
江戸時代になると、この地は松本藩の御殿湯として「山辺茶屋」が設けられ、藩主や武士たちの湯治場として賑わいました。その後も、地域の人々や旅人の疲れを癒す場所として親しまれ、長い歴史の中で静かにその湯を湧かせ続けてきました。
もともとこの温泉は「白糸の湯」や「山辺の湯」、「束間の湯」と呼ばれていましたが、昭和30年代に入り、近隣の名勝「美ヶ原高原」にちなんで「美ヶ原温泉」と改称されました。この名は現在まで引き継がれ、より広く人々に親しまれるようになりました。
1983年(昭和58年)には、環境庁告示第27号により国民保養温泉地として指定され、その泉質の良さや静かな環境が高く評価されています。
美ヶ原温泉の泉質はアルカリ性単純温泉で、源泉温度は45℃、湧出量は毎分1,246リットルにも達します。無色透明で無味無臭の湯は肌に優しく、疲労回復や筋肉痛の緩和、神経痛、冷え性などに効果があるとされています。また、カルシウムイオンやナトリウムイオンが多く含まれているため、肌がしっとりすべすべになる美肌効果が高く、地元の方々の間では「化粧水のような湯」として親しまれています。
松本市中心部から車で約20分の場所にある美ヶ原温泉街は、古くからの町並みが色濃く残る歴史ある温泉地です。木造建築の宿や格子戸の旅館が並ぶ街並みは、「松本市景観百選」にも選ばれています。22件の宿があり、それぞれに趣の異なる湯宿が訪れる人を迎え入れています。現代的なホテルもありつつ、どこか懐かしさを感じる静かな空気が流れるこの地は、心を落ち着かせる癒しの時間を与えてくれます。
美ヶ原温泉で唯一の共同浴場が、松本市里山辺にある「白糸の湯」です。ここは「ふれあい山辺館」内にあり、地域住民や観光客に親しまれている温泉施設です。源泉の温度は42.2度、湧出量は130リットル/分で、4つの源泉を混合して供給されています。
地元では「朝風呂文化」が根付いており、冬の朝6時前から並ぶ人もいるほどの人気ぶりです。入浴すると体が芯から温まり、疲れが取れると評判で、一日に2回訪れる常連も少なくありません。宣伝をしなくても口コミで広がり、休日には観光客や登山帰りの人々で賑わいます。
内湯・露天風呂は決して広くはありませんが、こじんまりとした空間がかえって心地よく、午後3時から6時頃が特に混み合う時間帯です。料金が手頃なこともあり、地元の生活に密着した温泉としての魅力が息づいています。
美ヶ原温泉の湯は飲泉としても優れており、冷やして飲むとさっぱりとした味わいが楽しめます。お茶やコーヒーを淹れたり、ご飯を炊く際に使うと風味が増し、翌日まで保温しても変色しないといわれています。そのため、地元の人々はペットボトルを手に湯を汲みに訪れ、家庭でもこの湯を活用しています。ふれあい山辺館の裏手にある小さな公園でも、湧き出る飲泉を味わうことができます。
ふれあい山辺館の2階には研修室や展示室があり、予約制でそば打ち体験や調理実習が楽しめます。また、展示室には美ヶ原温泉の歴史や自然環境に関する資料が展示され、地域の文化を深く学ぶことができます。地元の人々や観光客が集い、温泉だけでなく学びとふれあいを楽しむ場として活用されています。
美ヶ原温泉へのアクセスは良好で、JR松本駅隣接の松本バスターミナルからアルピコ交通バス(美ヶ原温泉線)に乗り、約25分で到着します。市内循環の路線バスも利用可能で、「藤井」や「辻堂」などの停留所で下車すれば温泉街にほど近い場所に到着します。また、一部宿泊施設では松本駅からの送迎バスも運行しており、観光客にも便利です。
美ヶ原温泉は、千年以上の歴史を持つ由緒正しき温泉地として、訪れる人々に安らぎを与え続けています。古代から続く伝統の湯に身を委ねれば、心身ともに癒やされ、まるで時がゆっくりと流れるような感覚に包まれるでしょう。歴史ある街並み、地元に愛される「白糸の湯」、そして美肌を育む柔らかな湯――これらが調和した美ヶ原温泉は、松本の自然と文化を感じる旅にふさわしい、心温まる名湯です。