西福寺は、長野県塩尻市にある曹洞宗の名刹で、山号を「寶松山(ほうしょうざん)」と称します。戦国の名将・武田信玄によって永禄八年(1565年)に開基されたと伝えられ、四百年以上の長い歴史を誇る由緒ある寺院です。境内には、池泉回遊式の庭園が広がり、松や苔、枯山水を巧みに組み合わせた美しい景観は、訪れる人々に深い安らぎと古刹の風情を感じさせます。
西福寺の創建は、永禄八年(1565年)、甲斐の戦国大名・武田信玄によって開基されたことに始まります。当時、信玄は信濃国の支配を確立しつつあり、仏教の加護を得て領内の安寧を祈るため、多くの寺院を建立・保護しました。西福寺もそのひとつで、建立の際には1貫240文の寄進があったと記録されています。
開山は、越前国の心月寺第七世・才応総芸禅師に学んだ名僧、圭嶽珠白(けいがくしゅはく)です。珠白は修行を終えたのち塩尻・洗馬の長興寺に入り、その後この地に西福寺を開きました。彼の教えは厳しくも慈悲に満ち、地域の人々に深い信仰をもたらしました。
西福寺には、圭嶽珠白が生涯をかけて遺した数々の寺宝が今も大切に保管されています。その中でも特に注目すべきは、師である才応総芸禅師から譲り受けた袈裟(けさ)です。この袈裟は禅の教えと師弟の絆を象徴するもので、現在は塩尻市有形文化財に指定されています。
また、珠白の頂相(ちんぞう)や、武田信玄の寄進状、さらにその子・武田勝頼の安堵状も寺宝として残されています。これらの文書は、西福寺が戦国時代から続く由緒ある寺院であることを物語る貴重な史料です。
さらに、珠白が自ら筆を執った「出家略作法」や「仏祖正伝菩薩戒教授戒文」の写本も現存しており、これらは曹洞宗の戒律や修行を伝える上で極めて重要な資料とされています。また、中国禅宗の教えを学んだ記録として「碧厳録抄」や「人天眼目抄」などの講義録も残されており、当時の禅学研究の深さを今に伝えています。
江戸時代から近代にかけて、西福寺は幾度もの火災に見舞われました。特に弘化年間と安政年間には大きな被害を受けましたが、そのたびに檀家や地域の人々の支えにより再建が行われ、寺の灯は絶えることがありませんでした。
第十七世住職・海玉珉洲(かいぎょくみんしゅう)は、正親町三条家の猶子(ゆうし)となり、寺格の向上に尽力しました。その功績により、西福寺は曹洞宗の中でも格式高い寺として名を馳せるようになります。明治十五年(1882年)には本堂が再建され、さらに昭和五十八年(1983年)には位牌堂や講堂が新築され、現在の姿へと受け継がれました。
境内の東側には、塩尻市指定名勝にもなっている「池泉回遊式庭園」が広がっています。この庭園は、自然の地形を活かして作られたもので、訪れる人々の心を静かに包み込むような穏やかな美しさを持ちます。
庭の中心にある池は「心」の字を象った形に造られており、水面には錦鯉がゆったりと泳ぎ、見る者に平和と調和を感じさせます。池を囲む石組みも見事で、特に「拝石」と呼ばれる巨石は重さ二千貫(およそ七千五百キログラム)に達し、その上に立って礼拝することで心身を清めるといわれています。
また、庭園を囲む老松の枝ぶりは堂々としており、池の水面に美しく映り込む様子は四季折々に趣を変えます。春には新緑が輝き、秋には紅葉が池を染め上げる光景はまさに絶景です。特に滝口に立つ大モミジはひときわ存在感を放ち、紅葉の季節には陽の光を浴びて園全体を紅に染め上げます。
庭の背後には自然の斜面が利用されており、潅木や竹林、喬木が巧みに配置されています。遊歩道を進むと、やがて小さな茶室が現れ、まるで深山幽谷を思わせる静寂の空間へと導かれます。庭全体が一つの「禅の世界」として設計されており、訪れる人は自然と心を落ち着かせ、日常の喧騒を忘れることができるでしょう。
西福寺は、信州筑摩三十三ヶ所観音霊場の第20番札所としても知られています。多くの巡礼者が訪れ、観音さまへの祈りを捧げる霊場として、古くから人々の信仰を集めてきました。静かな境内を歩けば、歴史の重みと信仰の深さが感じられ、心からの安らぎを得ることができます。
西福寺へは、JR中央本線・塩尻駅から車で約10分。周辺には宿場町の面影を残す史跡も点在しており、歴史散策と合わせて訪れるのもおすすめです。
寶松山西福寺は、歴史・文化・自然が見事に融合した禅寺として、塩尻市の精神的なシンボルとなっています。訪れるたびに新たな発見と心の癒やしを与えてくれるこの古刹は、信州の旅においてぜひ立ち寄りたい名所のひとつです。