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阿禮神社

(あれい じんじゃ)

阿禮神社は、長野県塩尻市に鎮座する由緒ある神社で、『延喜式神名帳』にも名を連ねる式内社の一つです。古くから地域の人々に信仰され、旧社格では県社として崇敬を集めてきました。その創建は定かではありませんが、古代の東山道沿いに栄えたこの地の歴史と深く結びついており、古代信仰の面影を今に伝える貴重な存在です。

御祭神とその御神徳

阿禮神社には、以下の三柱の神々が祀られています。

須佐之男命(すさのおのみこと)は、災厄を祓い、勇気と力を授ける神として知られています。
大己貴命(おおなむちのみこと)は、国造りと縁結びの神として、出雲神話でも有名な大国主命の別名です。
そして誉田別天皇(ほむたわけのすめらみこと)、すなわち第15代応神天皇は、武運長久と国家繁栄をもたらす神として崇められています。

これらの神々は、それぞれ異なる分野の御神徳を持ちながらも、人々の生活を守り導く力を合わせ、地域の安寧と発展を見守り続けています。

社殿と境内の特徴

阿禮神社は、塩尻市塩尻町にある前宮と、同市柿沢の明神平に位置する奥社の二社から成ります。前宮の本殿は三間社流造りで銅板葺き、江戸時代中期の彫刻が随所に施された美しい社殿です。特に、一間社流造りの社殿が二つ並び、その中央に奥社を遥拝するための扉口が設けられているという独特の構造が特徴です。

三社はそれぞれ、大宮八幡宮・阿禮大明神・塩尻大明神と呼ばれ、江戸時代の信仰の厚さを今に伝えています。また、戦国時代には武田氏の庇護を受け、社領の寄進を受けるなど、地域の歴史とも深く関わりを持っていました。

社の移転と由緒ある地

社伝によれば、創建当初は塩尻峠の東山山麓・五百砥岩付近に鎮座していたとされます。その後、奈良時代に柿沢の明神平へと遷座し、江戸時代初期の中山道塩尻宿の設置に伴い、前宮が現在の宿場西端に移されました。このように、時代の移り変わりとともに社の位置を変えながらも、地域の人々の信仰の中心として受け継がれてきたのです。

現在の氏子地域は、塩尻東地区の七町(上町・室町・中町・宮本町・堀の内・長畝・桟敷)で構成され、地域の人々によって大切に守られています。また、古代東山道の宿駅「覚志駅」がこの付近に存在したとも伝わっており、古代交通の要衝としての歴史も感じさせます。

阿禮ノ神と古代信仰

『延喜式神名帳』にも記された阿禮神社の名は、古くからこの地で崇拝されていた「阿礼ノ神」に由来します。かつて塩尻峠の西麓を流れる四沢川流域で暮らしていた諏訪族神氏が、上流の五百砥山を御神体として祀ったのが起源といわれています。この信仰形態は、自然崇拝が色濃く残る古代日本の神道の姿を今に伝えています。

現在の社殿は寛保三年(1743年)に再建されたもので、当時の建築技術や美意識を感じさせる貴重な文化財でもあります。

年中行事と祭典

阿禮神社では、一年を通してさまざまな祭事が行われます。代表的なものに、五百砥祭(5月1日)奥社祭(6月29日)、そして最も盛大な例大祭(7月10日・11日)があります。

この例大祭は「塩尻祭り」とも呼ばれ、毎年7月の第二土曜日と日曜日に行われる遷座祭として知られています。町内を練り歩く神輿や華やかな行列、太鼓や笛の音が響き渡り、地域全体が活気に満ちた雰囲気に包まれます。氏子や地域住民、見物客が一体となり、夏の思い出に残る感動的なひとときを過ごすことができるでしょう。

地域とともに歩む神社

阿禮神社は、古代から現代まで地域の歴史と共に歩み続けてきた神社です。その長い歴史の中で培われた信仰と絆は、今なお塩尻の人々の心に息づいています。訪れる人々は、美しい社殿や厳かな雰囲気の中に、悠久の時を超えて受け継がれてきた祈りと伝統を感じ取ることができるでしょう。

Information

名称
阿禮神社
(あれい じんじゃ)

松本・上高地・塩尻

長野県