小野神社と矢彦神社は、長野県の塩尻市と上伊那郡辰野町にそれぞれ鎮座する、歴史と伝承に満ちた二つの神社です。両社は古来より深い関係を持ち、同じ社叢(しゃそう)に隣り合って位置しており、かつては一つの神社であったと伝えられています。現在はそれぞれ独立した神社として存在していますが、その信仰や祭事、建築には共通する文化的・歴史的価値が多く見られます。
小野神社は長野県塩尻市北小野に、矢彦神社は上伊那郡辰野町大字小野に位置します。両社は小野盆地の同じ森の中に鎮座し、北側に小野神社、南側に矢彦神社があります。この地は「頼母(たのも)の里」や「憑(たのめ)の里」とも呼ばれ、『枕草子』や『夫木和歌抄』にも登場するほど、古くから都人にも知られた風光明媚な地です。
両社が分離したのは、戦国時代の末期、豊臣秀吉の裁定によって小野盆地を流れる唐沢川を境に、北側が筑摩郡、南側が伊那郡に分けられたためでした。これにより神社も北と南に分かれ、現在の形となったと伝えられています。
主祭神は建御名方命(たけみなかたのみこと)です。建御名方命は諏訪大社の主神としても知られ、農業や勝運の神として信仰されています。小野神社は古くから信濃国二宮と称され、諏訪大社に次ぐ格式の高い神社とされています。
矢彦神社の正殿には大己貴命(おおなむちのみこと、大国主命)と事代主命(ことしろぬしのみこと)を祀り、副殿には建御名方命と八坂刀売命(やさかとめのみこと)が祀られています。さらに北殿と南殿には、初代神武天皇である神倭磐余彦天皇と、第15代応神天皇の誉田別天皇が祀られ、国家安泰と繁栄を祈る神々が集う社殿構成となっています。
これらの神々はいずれも国造り・豊穣・武運に関わる神々であり、古代よりこの地域が自然への畏敬とともに、国家や人々の繁栄を祈る中心的な信仰の場であったことがうかがえます。
小野神社・矢彦神社の創建年代は明らかではありませんが、古代より信仰の中心として栄えてきました。伝承によると、建御名方命が諏訪へ向かう途中、洩矢神との争いによりこの地に留まったとされ、ここを仮の宮としたことが神社の起こりと伝えられています。また矢彦神社の社伝では、大己貴命が国造りの途中に御子の建御名方命・事代主命と共にこの地を訪れ、祀りが始まったと伝えています。
これらの伝説は、両社が古代信仰の拠点であったことを示すものであり、また両神社が諏訪信仰と深いつながりを持つことを物語っています。
中世以降、小野神社と矢彦神社は信濃国の有力な神社として地域の人々から篤く崇敬されました。文献上の初出は鎌倉時代の『祝詞段』(1237年)に見られる「小野ワヤヒコ北方南方末若宮大明神」で、すでに当時から二社一体の信仰が存在していたことがうかがえます。
戦国時代の末期、飯田城主・毛利秀頼と松本城主・石川数正の間で領地争いが起こりました。天正19年(1591年)、豊臣秀吉が介入して小野盆地を流れる唐沢川を境に北を筑摩郡、南を伊那郡と分けたことが発端で、以後それぞれ独立した社格を持つようになりました。もともと一体の神社であったとされる両社は、このとき境内も分割され、北が小野神社、南が矢彦神社となりました。
江戸時代にはそれぞれ幕府直轄地(天領)となり、北小野は松本藩の預地、南小野は旗本千村氏の預地として治められました。現在でも両社は同じ森にありながら、行政的には別の町に属しており、この独特な地理的関係が地域文化の特徴ともなっています。
両社の境内は「矢彦小野神社社叢」と呼ばれ、約36,000平方メートルにわたる広大な森が広がります。針葉樹と広葉樹が混ざり合う自然林で、その種類は150種にも及びます。この豊かな自然は長野県の天然記念物に指定されており、古来より神々が鎮まる神聖な空間として守られてきました。鳥のさえずりや木々の香りに包まれた静寂な空間は、訪れる人に安らぎと神聖な気配を感じさせます。
小野神社の本殿は、寛文12年(1672年)に焼失後、松本藩主・水野忠直の寄進により再建されたものです。本殿二棟と八幡宮本殿が並び、その前に勅使殿が建つ荘厳な構成で、御柱祭の際には二棟の本殿間で御神体が遷座する独特の様式を持ちます。これらの建物は、長野県宝に指定されています。
また、古来より伝わる鐸鉾(たくほこ)や梵鐘も重要文化財であり、特に梵鐘は永禄7年(1564年)に武田勝頼が戦勝祈願として寄進したものと伝えられています。
矢彦神社の社殿は、正殿・副殿・北殿・南殿が一直線に並ぶ壮麗な構造で、拝殿や回廊は天明2年(1782年)、神楽殿は天保13年(1842年)に造営されたものです。立川流の匠による精巧な彫刻が見事で、江戸建築の粋を伝えるものとして長野県宝に指定されています。
両社で最も有名な祭りは、6年に一度、卯年と酉年に行われる式年御柱大祭です。諏訪大社の御柱祭の翌年に行われ、古くから「人を見るなら諏訪御柱、綺羅を見るなら小野御柱」と称されます。華やかな衣装と力強い掛け声の中、地元の人々が協力して御柱を曳く様子は圧巻で、塩尻市指定無形民俗文化財にもなっています。
毎年1月6日に行われる豊年祈願の祭りで、男たちが長い7本の棒をねじり合わせながら力比べをする勇壮な儀式で、土地の豊穣を占う古式ゆかしい行事です。平安時代にまで遡るとされ、全国的にも珍しい形態の祭りとして塩尻市指定文化財となっています。
毎年10月の第一日曜日に開催される秋の例祭で、五穀豊穣に感謝し、地域の繁栄を祈る神事です。古くは旧暦8月1日に行われたため「八朔祭」とも呼ばれます。華やかな奉納行列とともに、古来の信仰が今なお受け継がれています。
小野神社・矢彦神社には多くの貴重な文化財が伝わっています。鎌倉時代の作とされる銅造千手観音坐像御正体残闕や、古代祭祀に用いられたと伝わる鐸鉾(さなぎほこ)、武田勝頼が寄進した梵鐘などがあり、いずれも長野県または塩尻市の指定文化財に登録されています。
両社の最寄り駅はJR中央本線(辰野支線)の小野駅で、徒歩約11分の距離にあります。駅前には両社共通の大鳥居が建ち、訪れる人々を神域へと導きます。周辺にはかつて中山道の宿場町として栄えた小野宿や、国の天然記念物であるしだれ栗森林公園などもあり、自然と歴史を一度に楽しめるエリアです。
小野神社・矢彦神社は、古代の信仰を現代に伝える貴重な神社であり、長い歴史の中で地域と共に歩んできました。神々の物語が息づく森に足を踏み入れれば、時を越えて受け継がれてきた祈りと、人々の暮らしが融合する神聖な空気を感じることができるでしょう。
静かな社叢に包まれたこの地は、まさに「信濃の神々が宿る里」と呼ぶにふさわしい、心安らぐ聖域です。