長興寺は、長野県塩尻市西部に位置する曹洞宗の名刹であり、山号を「青松山」と称します。本尊には釈迦如来を安置し、信州七福神のひとつである毘沙門天の札所としても知られています。静寂な自然に囲まれた境内には、長い歴史と深い信仰が息づき、訪れる人々に安らぎと感動を与えています。
長興寺の創建は、戦国時代の大永7年(1527年)に遡ります。この地の有力者であった洗馬荘地頭・三村忠親が、信濃三村氏の菩提寺として建立したのが始まりです。その後、武田信玄の支配下に置かれ、永禄4年(1561年)には信玄自らが「乱暴狼藉を禁ずる制札」を掲げ、寺院の保護を命じました。さらに元亀元年(1570年)には信玄が、天正3年(1575年)にはその子・武田勝頼がそれぞれ寺領の安堵を行い、長興寺は武田家の庇護を受けながら発展を遂げました。
また、当寺は越前国の心月寺の末寺として位置づけられ、總持寺の高僧・應總藝禅師が弟子たちとともに訪れ、多くの経典や仏典をもたらしたと伝わっています。この頃から長興寺は、宗教だけでなく学問・文化の中心としても重要な役割を果たすようになりました。
江戸時代に入ると、長興寺は徳川幕府の庇護を受ける名刹としてさらに栄えます。慶安2年(1649年)、三代将軍・徳川家光が寺領15石を寄進し、その後も歴代将軍より朱印状を受け続けました。この朱印地制度は寺の経済的基盤を支え、長興寺は「学問寺」として多くの僧侶や学徒が集う文化的拠点となりました。
しかし、明治41年(1908年)には火災に見舞われ、本堂を除くほとんどの建物が焼失するという大きな被害を受けます。のちに檀家や地域の人々の努力によって再興され、大正時代に現在の姿を取り戻しました。現在も当時の寄進状や古文書が大切に保存されており、寺の長い歴史を物語っています。
長興寺の境内は、歴史的建造物と自然が見事に調和した空間です。山門は文政11年(1828年)に建立されたもので、見事な彫刻が施されています。特に唐獅子の木鼻や冠木の龍の彫刻は迫力があり、当時の職人たちの技術の高さを今に伝えています。山門をくぐると、静かな境内の奥に本堂があり、訪れる人々を温かく迎え入れます。
また、山門の裏手には庚申塔があり、そこには1674年の建立年が刻まれています。これは、江戸時代初期から長興寺が地域信仰の中心であったことを示す貴重な史跡です。周囲を囲む森林や竹林は、まるで過去の時代にタイムスリップしたような趣を漂わせています。
長興寺の魅力のひとつに、市指定名勝「長興寺庭園」があります。面積約1,100平方メートルを誇るこの庭園は、江戸中期(安永~天明期 1772~1788年)の作庭様式を今に伝える典型的な池泉回遊式庭園です。山の斜面を背景に構成された庭園には、細長い池泉があり、中央には優美な出島と小さな亀島が配されています。主石の石組や護岸の造りには当時の手法がそのまま残り、江戸中期の造園文化の粋を感じることができます。
秋になると、庭園は紅葉に包まれ、池の水面に映る赤や黄の木々が一面に広がる光景はまさに絶景。訪れる人々を静かな感動で包み込みます。保存状態も良く、山腹の植栽との調和も美しく、四季折々の自然が楽しめる庭園として観賞価値は非常に高いものです。
長興寺へのアクセスも便利です。JR中央本線の洗馬駅から塩尻市地域振興バス・洗馬線に乗り、「長興寺前」で下車すぐ。また、JR塩尻駅からは車で約10分の距離にあり、観光や散策にも立ち寄りやすい立地です。近くには「本洗馬歴史の里資料館」などの文化施設もあり、地域の歴史とあわせて見学するのもおすすめです。
青松山長興寺は、戦国の動乱、江戸の繁栄、そして明治の再興を経て、今もなお塩尻の人々の心に生き続ける寺院です。歴史ある建造物や文化財、そして四季折々の自然が調和したこの地は、訪れる人に深い静寂と精神的な豊かさを与えてくれます。歴史散策や庭園観賞に訪れる際は、時間をかけてその荘厳な空気に身を委ねてみてください。