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若一王子神社

(にゃくいちおうじ じんじゃ)

若一王子神社は、長野県大町市大町に鎮座する歴史ある神社で、旧社格は県社、現在は神社本庁の別表神社に列せられています。当地を治めていた仁科氏の氏神として崇敬を集め、また伊勢神宮の裏宮とされてきた熊野神社から勧請された由緒ある神社でもあります。本殿は安土桃山時代の建築様式を色濃く残し、国の重要文化財に指定されております。

さらに、境内には三重塔(長野県宝)観音堂(長野県宝)が残されており、神と仏が一体となった「神仏習合」の名残を今に伝えています。特に7月の例祭では、全国的にも珍しい「流鏑馬(やぶさめ)」の神事が行われ、地域の伝統行事として大勢の参拝者や観光客を魅了しています。

祭神

若一王子神社には、以下の五柱の神々が祀られています。

歴史

創建と由緒

創建は古く、伝承によれば垂仁天皇の時代にまでさかのぼります。当時の仁科王が水の神である伊奘冉尊を祀ったことが始まりとされます。その後、鎌倉時代に仁科盛遠が熊野権現に参詣し、那智大社第五殿に祀られる若一王子を勧請して仁科荘の鎮守としました。以来、「若一の宮」と呼ばれるようになり、地域の守護神として広く信仰されるようになりました。

戦国時代から江戸時代へ

仁科氏は戦国時代に武田氏の配下として活動しましたが、滅亡後は織田信長や豊臣秀吉、徳川家康ら天下人の支配下に入りました。その後は松本藩の庇護を受け、安曇野地方の人々に信仰を広めていきました。

近代以降

明治時代の神仏分離令の際には、観音堂や三重塔などがあるため廃仏毀釈の対象となりかけましたが、地元の人々の知恵によって守られました。その後、1931年(昭和6年)に県社に昇格、1976年(昭和51年)には神社本庁の別表神社に列格しました。

神仏習合の名残

境内には神社特有の鳥居や本殿のほか、寺院建築である観音堂や三重塔が並立しており、神仏習合の姿を今に残しています。これは明治時代の廃仏毀釈の際に、松本藩の厳しい命令をかわすために、境内に土手を築き「神社と寺は別である」と言い訳したことに由来すると伝えられています。

境内と建物

本殿(重要文化財)

本殿は弘治2年(1556年)に仁科盛康が造営したもので、一間社隅木入春日造、檜皮葺の建築様式です。安土桃山時代の地方色をよく残す貴重な文化財です。

観音堂(長野県宝)

宝永3年(1706年)に建立された観音堂は、方三間寄棟造で茅葺屋根が特徴的です。内部には天女や麒麟の彫刻、天井には墨絵の竜や極彩色の花鳥画が描かれています。堂内には十一面観音像が安置され、信仰の対象となっています。

三重塔(長野県宝)

宝永8年(1711年)に建立された三重塔は、松本平に唯一残る優美な塔とされます。初層には五智如来像を祀り、蟇股には十二支の彫刻が施されるなど、芸術的価値も高い建築です。

社叢と自然環境

境内の森は1965年に長野県指定天然記念物に指定されています。スギを主体とした針葉樹林に、ブナや広葉樹も混じり、豊かな自然環境を保っています。参拝者は荘厳な雰囲気と清らかな空気を感じることができます。

祭事と流鏑馬

例祭

毎年7月17日に例祭が行われ、地域の人々にとって重要な年中行事となっています。さらに第4日曜日には例祭奉祝祭が執り行われ、多くの参拝客で賑わいます。

大町流鏑馬

若一王子神社の流鏑馬は「大町流鏑馬」と呼ばれ、鎌倉の鶴岡八幡宮、京都の賀茂神社と並び、わが国三大流鏑馬の一つとされています。特筆すべきは、射手が6歳から9歳ほどの童子である点です。童子は「ボボ」と呼ばれ、狩衣や陣羽織をまとい、古風な行列とともに市内を練り歩きます。この光景は大名行列さながらで、観光客に強い印象を与えます。

文化財

交通アクセス

JR大糸線「北大町駅」より徒歩約10分と、アクセスも良好です。大町市観光の際にはぜひ訪れたいスポットです。

まとめ

若一王子神社は、歴史・文化・自然が融合した大町市を代表する神社です。神仏習合の名残を残す境内、重要文化財に指定された建造物、そして全国的に有名な「大町流鏑馬」と、見どころが尽きません。大町市を訪れる際には、ぜひこの神社に足を運び、悠久の歴史と伝統文化を肌で感じてみてはいかがでしょうか。

Information

名称
若一王子神社
(にゃくいちおうじ じんじゃ)

安曇野・白馬

長野県