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法善寺(麻績村)

(ほうぜんじ)

信濃三十三観音霊場第一番札所として知られる古刹

法善寺は、長野県東筑摩郡麻績村に位置する曹洞宗の名刹で、山号を「仏眼山」と称します。本尊には鎌倉時代後期の貴重な木造阿弥陀如来坐像を安置し、信濃三十三観音霊場の第一番札所として古くから巡礼者の信仰を集めてきました。豊かな自然に囲まれた麻績の里に静かに佇むこの寺は、長い歴史とともに多くの伝説や文化財を今に伝えています。

奈良時代にまで遡る創建の歴史

寺伝によれば、法善寺の起源は奈良時代の和銅年間(708年~715年)に遡ります。当初は法相宗の寺院として「岩竜山西竜寺」と号し、唐(中国)で仏教を学んだ僧・定恵(じょうえ)によって創建されたと伝えられています。その後、長い歳月を経て衰退しますが、室町時代の永正9年(1512年)に、遠州水窪の善住寺第二世・賢甫宗俊禅師がこの地に再興。寺号を「仏眼山法善寺」と改め、曹洞宗の寺院として再出発しました。

戦国時代にまつわる伝承と武田信玄とのゆかり

法善寺は、戦国時代にも重要な位置を占めました。麻績城主・服部氏が中興開基として寺の再興を支え、やがて名将・武田信玄とも深い関わりを持つことになります。天文22年(1553年)、武田氏が当寺の境内を保護するための「禁制」を掲げ、寺領を寄進したと記録されています。また、川中島の戦いの際には、信玄が法善寺の前立本尊である木造聖観音を厄除けとして携行したという伝承も残されており、その信仰の厚さを感じさせます。

江戸時代における繁栄と徳川家の朱印状

江戸時代に入ると、法善寺は幕府の庇護を受け、慶安4年(1651年)には三代将軍・徳川家光から朱印地8石を賜りました。この朱印状は現在も寺宝として大切に保管されており、法善寺がいかに格式ある寺院として認められていたかを物語っています。加えて、江戸幕府から授与された朱印状が9通も残されており、当時の信仰と寺院の隆盛ぶりを知ることができます。

見どころ豊かな伽藍と文化財

法善寺の参道は、善光寺街道麻績宿の本陣脇から始まり、三界万霊塔宝篋印塔を経て、重厚な唐破風山門へと続きます。境内の中心に建つ本堂は12間の堂々たる建物で、天保2年(1831年)に再建されたものです。南側には衆寮があり、その一角には明治初期に移されたとされる如意輪観音の懸仏を祀る仮堂「四阿権現」が佇みます。

また、寺宝として特に注目されるのが、中国・径山寺に伝わる弥勒浄土の絵巻です。この絵巻には武田信玄の奥書があり、信玄公ゆかりの貴重な文化財として歴史的価値が高いものとなっています。

信仰を詠んだ御詠歌と巡礼の心

法善寺の御詠歌には、信仰の慈悲深さが込められています。

「逆縁も 洩らさで救う 西谷の 巡礼塔を おがむ尊さ」

この歌には、あらゆる人を救う阿弥陀如来の慈悲と、巡礼者が心を込めて祈る姿への敬意が表されています。古来より、巡礼者が第一番札所としてこの寺を訪れ、心の平安を求めて祈りを捧げてきました。

交通アクセス

法善寺へは、JR東日本篠ノ井線の聖高原駅から徒歩で約15分ほど。駅からはゆるやかな坂道を上りながら、美しい田園風景の中を進むと、やがて風格ある山門が出迎えてくれます。

まとめ ― 歴史と信仰が息づく古寺

法善寺は、奈良時代から続く長い歴史と、数多くの文化財、そして地域の人々に支えられてきた深い信仰を今に伝える貴重な寺院です。静かな山里に佇むその姿は、訪れる人々に安らぎと歴史の重みを感じさせてくれます。信濃巡礼の第一歩として、また歴史探訪の目的地としても、ぜひ一度訪れてみたい名刹です。

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名称
法善寺(麻績村)
(ほうぜんじ)

安曇野・白馬

長野県