立石寺は、長野県飯田市立石に位置する高野山真言宗の名刹で、山号を千頭山(せんずさん)と称します。伊那西国三十三番札所の第一番寺として知られ、地元の人々からは「柿の観音」として古くから厚い信仰を集めてきました。天安元年(857年)に建立されたと伝えられるこの寺院は、伊那谷最古の真言宗寺院であり、長い歴史の中で多くの文化財と伝説を今に伝えています。
寺伝によれば、立石寺は天安元年(857年)に高僧・宥範阿闍梨によって開山されたとされています。その際、甲賀三郎兼家が大檀那(だいだんな)となり、寺の建立を支援しました。伝承では、一夜のうちに高さ七尺(約2メートル余り)の青石が地中から突き出したことから、この地を「立石」と呼び、寺名も「立石寺」と定めたと伝えられています。また、兼家が900頭もの鹿を射止め、その供養のために山号を「千頭山」としたという逸話も残っています。
このような神秘的な伝説は、自然の霊性を感じ取る日本古来の信仰と真言密教の精神が融合したものであり、立石寺の宗教的背景を今に伝える貴重な物語といえるでしょう。
立石寺は、伊那谷における真言宗の中心的存在として長い歴史を刻んできました。江戸時代には徳川家光から朱印地10石を拝領し、幕府の庇護を受けるなど、その格式の高さがうかがえます。
本堂は寛文7年(1667年)に旗本・近藤重堯の寄進により再建され、以後も代々の住職や地元有志の尽力によって維持されてきました。また、仁王門は延宝6年(1678年)に建立された三間一戸の八脚門で、堂々とした風格を今に伝えています。門前には寺の標石と石灯籠が2基並び、参拝者を静かに迎え入れます。
立石寺の境内には、歴史的価値の高い建築物や文化財が点在しています。
本堂は入母屋造・瓦葺の堂々たる建築で、寛文7年(1667年)に再建されました。檀那は旗本・近藤重堯、住持は祐憲、宮大工は飯田善太郎によるものと伝わっています。静寂の中にたたずむ本堂は、長い年月を経た木の香りとともに、訪れる人に深い安らぎを与えてくれます。
鐘楼門は天保11年(1840年)に建立されたもので、力強くも美しい姿を今に残しています。寺の梵鐘は特に興味深い歴史を持ち、嘉吉3年(1443年)に三河国設楽郡岩倉大神宮の鐘として鋳造されたのち、文明元年(1469年)には遠江国安楽寺を経て、文亀元年(1501年)に立石寺へ移されました。後に雨乞いのため阿知川に投じられたことから、現在も歪みが残っているといわれています。この鐘は、時代を超えて多くの人々の祈りを受け止めてきた貴重な存在です。
仁王門は延宝6年(1678年)の建立で、天保元年(1830年)に再修造されています。力強い仁王像が立ち並び、寺を守護するその姿には畏敬の念を抱かずにはいられません。また、表門は文政2年(1819年)に再建され、書院や庫裡は安永7年(1778年)に建立されたものが現存しています。これらの建築群は、江戸時代から続く寺院建築の様式をよく伝えています。
立石寺の本尊である木造十一面観音立像は、長野県の県宝に指定されています。この尊像は平安時代中期から後期にかけての作とされ、非常に穏やかな表情と繊細な彫刻が特徴です。秘仏として通常は非公開であり、60年に一度のみ開帳されるという大変貴重な機会にのみ拝観できます。
また、この地域は柿の名産地として知られ、立石寺の観音様は「柿観音」とも呼ばれています。江戸時代には江戸の柿問屋が奉納した絵馬が観音堂外陣に掲げられており、豊作や商売繁盛を祈る人々の信仰の深さを感じさせます。
立石寺には、県や市の指定文化財が多数あります。代表的なものとして、昭和63年(1988年)に長野県指定県宝となった「木造十一面観音立像」、そして令和3年(2021年)に飯田市指定有形文化財に指定された「木造天部形立像」が挙げられます。これらは地域の信仰と芸術の歴史を物語る貴重な遺産です。
立石寺へのアクセスは、中央自動車道の天龍峡インターチェンジから車で約10分ほどです。周囲は静かな里山に囲まれ、四季折々の風景が訪れる人を魅了します。春は桜、秋は紅葉、冬には雪に包まれた荘厳な姿を見ることができ、訪れるたびに異なる表情を楽しむことができます。
立石寺は、伊那谷の自然と信仰、そして歴史が調和する心安らぐ古刹です。千年以上にわたり人々の祈りを受け止め続けてきたこの寺院には、言葉では言い尽くせない静けさと深い精神性が息づいています。歴史ある建造物や秘仏を通じて、日本の信仰文化の奥深さを感じることができる立石寺は、飯田市を訪れる際にはぜひ足を運びたい場所の一つです。