鹿塩温泉は、長野県下伊那郡大鹿村の塩川沿いに湧き出る、全国的にも珍しい天然の塩水温泉です。山深い地域でありながら、海水とほぼ同じ塩分濃度を持つ湯が湧くという不思議な温泉で、古くから地元の生活や文化に深く根付いてきました。川沿いに佇む素朴で情緒豊かな温泉地は、訪れる人に静かな安らぎを与えてくれます。
鹿塩温泉の湯は含硫黄-ナトリウム-塩化物冷鉱泉で、源泉温度は約14℃。特徴的なのは塩分濃度が約4%と非常に高く、まさに海水のように塩辛い点です。含まれるミネラル成分の違いから、中央構造線に閉じ込められた化石海水ではないと考えられていますが、その成因はいまだ解明されていません。山あいで海を思わせる湯に浸かるという体験は、まさに鹿塩温泉ならではの魅力といえるでしょう。
現在、鹿塩温泉には2軒の温泉旅館があり、その中のひとつ「山塩館」は日本秘湯を守る会に加盟する宿としても知られています。塩川のせせらぎを聞きながら過ごすひとときは、まさに秘湯ならではの贅沢です。
山塩館では、平成9年に規制緩和が行われた際に伝統の山塩づくりを再開しました。4代目当主が薪を使った昔ながらの製法にこだわり、温泉水を煮詰めて塩を作り上げています。この山塩はにがり成分がほとんどないため、食材の味を損なうことがなく、料理にも大変重宝されています。「塩の里特産品直売所」でも購入でき、観光客にも人気です。
直売所の中には美濃屋豆腐店があり、大鹿村の特産大豆「平成中尾早生」を使った豆腐や油揚げを製造しています。素朴でありながら力強い大豆の味わいが人気を呼び、遠方からも買い求める人が訪れます。現在は通販にも対応しており、自宅でも大鹿村の味を楽しむことができます。
鹿塩温泉には、いくつかの興味深い開湯伝説が残されています。一つは、諏訪大社の建御名方神が鹿狩りの最中、鹿が舐めていた水が塩辛いものであったことから発見されたというもの。もう一つは、弘法大師(空海)がこの地を訪れ、塩不足に困る村人のために杖で地面を突くと、塩水が湧き出したという伝説です。いずれも昔からこの地で塩水が貴重な資源として利用されてきたことを物語っています。
塩水が湧くという特性は、村の歴史にも深く関わっています。南北朝時代には南朝方の宗良親王がこの地に拠点を置いたのも、塩が生活に欠かせない資源であったためと言われています。また、1875年には元徳島藩士・黒部銑次郎が岩塩を探してここで採掘を行い、大規模な製塩場を築いた記録も残っています。結局岩塩は見つからなかったものの、塩水が湧く理由は今なお謎に包まれています。
大鹿村の鹿塩地区には「小塩」「大塩」「万塩」など、塩に由来する地名や姓が多く残っています。これは、塩が古くから生活に密接に関わり、煮物や漬物、味噌、醤油などの製造に欠かせない存在だったことを示しています。山深い村において、塩は人々の暮らしを支える貴重な恵みだったのです。
現在の鹿塩温泉は、その神秘性と素朴な魅力から全国にファンを持つ秘湯の名所です。季節ごとに異なる山の表情や川の清流の音に包まれながら、ゆったりと湯に浸かる体験はまさに格別。都会では味わえない静けさと自然の美しさを満喫できます。
鹿塩温泉へは、JR飯田線伊那大島駅から伊那バス大鹿線に乗車し、約50分で最寄りの「鹿塩」バス停に到着します。そこから徒歩約15分で温泉街へ到着することができます。公共交通機関でも訪れやすい点も嬉しいポイントです。
海から遠く離れた山里に湧く不思議な塩の湯・鹿塩温泉。自然と伝統文化が織りなすこの秘湯は、訪れる人に深い感動と安らぎを届けてくれる特別な場所です。