臨川寺は、長野県木曽郡上松町に位置する臨済宗妙心寺派の名刹で、山号を寝覚山(ねざめさん)と称します。古来より「寝覚の床(ねざめのとこ)」の名で知られる絶景の地に建ち、その壮大な自然景観と浦島太郎伝説に彩られた由緒ある寺院として、多くの旅人や文人墨客が訪れました。
寺の創建は14世紀頃、関山慧玄(かんざんえげん)による開山と伝えられています。その後、江戸時代初期の寛永元年(1624年)、尾張藩初代藩主・徳川義直が木曽谷を領地としていた際に再興を命じ、木曾代官の山村良勝が甲斐国恵林寺の高僧・鐡船宗毘を招いて中興開山としました。これにより臨川寺は再び隆盛を迎え、木曽路を代表する禅寺としての地位を確立しました。
当初は妙心寺の直末でしたが、のちに大桑村の定勝寺の一山となります。往時の境内は約六千坪に及び、本堂や方丈、弁天堂、経蔵など壮麗な建物が立ち並んでいたと伝えられています。
寺の境内から望む「寝覚の床」は、木曽川の清流と奇岩が織りなす絶景として知られ、古くから「天下の名勝」と称されてきました。尾張藩主をはじめ、日光例幣使や中山道を行き交う多くの大名・旅人がここで小休止し、景色を楽しんだといいます。
江戸時代には、沢庵宗彭、大淀三千風、島崎藤村、森鴎外、若山牧水らがこの地を訪れ、詩歌や随筆に臨川寺の情景を記しています。また、寛永13年(1636年)には、徳川義直自身が参勤交代の途上で立ち寄り、寝覚の床の眺望を楽しんだ記録が残っています。
臨川寺は、浦島太郎伝説の舞台としても知られています。『寝覚浦嶋寺略縁起』によれば、浦島太郎は竜宮城から帰還後、木曽川の美しい渓谷に魅せられて住みつき、ここで釣りを楽しみ、霊薬を売りながら余生を過ごしたと伝えられています。
この伝説にちなみ、尾張藩四代藩主・徳川吉通は母君の長寿を祈念して、正徳2年(1712年)に臨川寺境内に弁財天堂を建立しました。建設には名古屋や高遠から熟練の職人が招かれ、上松町最古の建築物として現在も文化財に指定されています。
寝覚の床を見下ろす岩上には、かつての弁天社に由来する浦島堂があります。元は上松村の女性が孫の健康を祈って建立した小祠でしたが、後に九条家の姫君の寄進により再建されました。
江戸時代の『信府統記』には、「木曽川のほとりの大岩上に小さき弁財天の社あり」と記され、当時から信仰の場であったことがうかがえます。堂のある大岩には三体の観音像が彫られた摩崖仏があり、静かに訪れる人々を見守っています。
昭和39年(1964年)に開館した臨川寺宝物館では、浦島太郎が使ったと伝わる釣竿や古文書、近世の民具などが展示されています。寺の所蔵品には、「木曽八景」の版木や白隠禅師の達磨図、文殊菩薩像など、貴重な文化遺産が多数含まれています。
本堂や庫裏のほか、再建された方丈や「望床亭」、そして寝覚の床を見渡す「望床斎」などが見どころです。平成の改修工事の際には、かつての山門の礎石が発見され、江戸時代の壮麗な寺構えが偲ばれます。
境内には、多くの詩人・俳人の句碑が並びます。松尾芭蕉の「ひる顔にひる寝しようもの床の山」や、山頭火の「おべんとうを食べて洗って寝覚の床で」など、訪れた文人たちの心を今に伝えています。
明治13年(1880年)には、明治天皇が中山道御巡幸の際に臨川寺に立ち寄られ、寝覚の床を御覧になったと記録されています。その後も昭和天皇をはじめとする皇族が訪れ、木曽路の自然と文化の象徴として尊ばれてきました。
臨川寺は、禅の教えと木曽の自然、そして浦島伝説が融合した特別な場所です。寝覚の床の岩と流れ、そこに寄り添う古刹の姿は、時代を超えて訪れる人々の心に静かな感動を与え続けています。訪れるたびに新たな発見と深い癒しをもたらす、まさに「心の名勝」と呼ぶにふさわしい寺院です。