長野県 > 木曽・妻籠 > 興禅寺(木曽町)

興禅寺(木曽町)

(こうぜんじ)

歴史と自然が調和する禅の名刹

興禅寺は、長野県木曽郡木曽町福島にある臨済宗妙心寺派の名刹です。山号は萬松山(ばんしょうざん)と称し、木曽町の長福寺、大桑村の定勝寺と並び「木曽三大寺」のひとつに数えられています。境内は静寂に包まれ、古木に囲まれた広大な敷地には、禅の精神と木曽の自然美が見事に融合しています。

源義仲ゆかりの地としての歴史

木曽氏による開山と発展

興禅寺の創建は室町時代の永享6年(1434年)にさかのぼります。木曽氏第十二代当主の木曾信道(きそのぶみち)が、源義仲の追善供養のために鎌倉・建長寺五世の高僧圓覚大華を招き開山したと伝えられています。その後、木曽一族の篤い信仰を受け、木曽谷における禅の中心寺院として栄えました。

文正元年(1466年)には木曾家豊が梵鐘を寄進し、その鐘には「伽藍興隆、群生睡破、利濟無窮」と刻まれており、寺の繁栄と人々の救済を祈願する言葉が残されています。以後も木曽氏の庇護のもとで堂宇が整備され、明応年間には仏殿が建立されるなど、寺勢はさらに拡大していきました。

戦国から江戸時代への歩み

戦国期には、木曽義昌が興禅寺を保護し、「伐木禁止」や「殺生禁止」などの定書を与えて寺領を守りました。天正18年(1590年)に木曽氏が木曽谷を去った後は、豊臣政権下で代官となった石川光吉によって、興禅寺・長福寺・定勝寺の三寺が正式に保護されています。この時期、寺は地域の精神的拠点としての役割を果たしました。

山村家との深い関わり

江戸時代に入ると、尾張藩の木曽代官であった山村家との関係が深まります。特に山村良勝の庇護を受け、山村家の菩提寺として栄えました。裏山には、山村家の墓所が整備され、初代良勝からの歴代当主が眠っています。また、源義仲や木曽信道、義昌ら木曽氏の墓も並び、歴史を静かに語りかけています。

伽藍と庭園 ― 禅の美が息づく空間

広大な境内と本堂

興禅寺の敷地は約5,300平方メートルにも及び、ヒノキや老杉、古松に囲まれた厳かな雰囲気が漂います。境内に入ると、正面に観音堂、右手に総ヒノキ造の本堂、左手には庫裏が並びます。これらの建物は、昭和2年(1927年)の大火後に再建されたもので、荘厳かつ落ち着いた佇まいを見せています。

再建された勅使門と歴史の象徴

昭和28年(1953年)には、寺の格式を象徴する勅使門が原形通りに復元され、古き良き興禅寺の姿が蘇りました。訪れる人々はこの門をくぐると、まるで時がゆっくりと流れるような静けさに包まれます。

重森三玲作「看雲庭」 ― 日本最大級の石庭

興禅寺の最大の見どころの一つが、昭和38年(1963年)に作庭家重森三玲によって築かれた枯山水庭園「看雲庭(かんうんてい)」です。この庭は「高山の雲海」を表現したもので、日本最大級の石庭として知られています。白砂に配された巨石群がまるで流れる雲のように配置され、禅の宇宙観を感じさせる壮大な景観を楽しむことができます。平成31年(2019年)には、国の登録記念物に指定されました。

興禅寺と木曽の文化

木曽踊発祥の地

興禅寺は、木曽の夏の風物詩「木曽義仲公松明祭」とも深く関わっています。毎年8月13日の夜、勇壮な武者行列が興禅寺前から出発し、義仲の霊を慰めます。境内には「木曽踊発祥の地」の碑があり、地域の伝統芸能の源としても知られています。

歴史を語る墓碑群

本堂裏手の墓地には、源義仲をはじめとする木曽氏一族、そして山村家代々の墓が整然と並びます。特に九代・山村良由の墓碑には、学者・詩人として知られる樺島石梁の撰文が刻まれています。さらに、自由民権運動の先駆者武居用拙や建築家遠藤於菟など、木曽が生んだ文化人たちの墓も点在し、木曽の近代史を物語っています。

訪れる人々へ ― 静寂と歴史の調和を感じて

興禅寺は、約600年にわたる木曽の歴史と信仰を今に伝える貴重な寺院です。自然と一体化した静寂の中で、禅の心に触れ、歴史の重みを感じることができる場所です。木曽福島の街歩きの際には、ぜひ立ち寄り、悠久の時を超えて息づく木曽の精神文化に触れてみてください。

Information

名称
興禅寺(木曽町)
(こうぜんじ)

木曽・妻籠

長野県