寝覚の床は、長野県木曽郡上松町に位置する名勝地で、日本五大名峡の一つに数えられています。1923年(大正12年)3月7日に国の名勝に指定され、その美しさと歴史的価値が高く評価されています。木曽川の中流に広がる花崗岩の岩肌と、清らかな流れが織りなす光景は、訪れる人々を魅了し続けています。
寝覚の床は、長い年月をかけて木曽川の水流が花崗岩を侵食し、形成された自然の彫刻のような地形です。かつてこの地は急流でしたが、上流に建設された関西電力の木曽ダム(1968年運用開始)によって水位が下がり、長年水中で削られていた岩盤が現在のように水面上に姿を現しました。
露出した花崗岩には独特の形状が見られ、方状節理と呼ばれる割れ目が美しい幾何学模様を作り出しています。岩の段差は数メートルに及び、最上段は河床から約20メートルの高さを誇ります。約1万2千年前に露出したと考えられ、長い年月の自然の営みがこの幻想的な景観を形作ったのです。
かつて寝覚の床周辺の水質は悪化し、生活排水の流入もありましたが、1987年(昭和62年)に設けられた水資源対策委員会により環境改善が進みました。関西電力との協議の結果、夏季は毎秒2.7トン、冬季は毎秒2.0トンの放流が行われるようになり、翌年からはアユの放流も再開。自然と人が共存する環境が整えられました。
寝覚の床は古くから文人や旅人に愛され、数多くの詩歌に登場しています。長野県歌「信濃の国」の第4番には「旅のやどりの寝覚の床」と詠まれ、この地が旅人の心を癒す憩いの場所であったことを伝えています。また、中山道を行き交った多くの歌人や俳人もその美景を詠み残しており、文学的にも重要な場所です。
寝覚の床の中央には、小さな祠のような「浦島堂」が建っています。ここにはかつて弁才天像が安置されていたと伝えられています。一方、上松町にある臨川寺の縁起によると、この弁才天像を祀っているのが同寺であるともされ、浦島伝説との深いつながりが感じられます。
この地は「浦島太郎が竜宮城から戻り、余生を過ごした場所」ともいわれています。『寝覚浦嶋寺略縁起』によれば、浦島太郎は竜宮城から玉手箱と弁才天像を持ち帰り、木曽川沿いの風光明媚なこの地で釣りを楽しみ、霊薬を売りながら暮らしたとされています。
ある日、里人に竜宮の話をするうちに玉手箱を開けてしまい、たちまち白髪の老人となった浦島太郎は、天慶元年(938年)にこの地から姿を消したと伝わります。この伝説が、やがて「目が覚めるような美しさの地」=「寝覚の床」という名の由来になったともいわれています。
寝覚の床にはもう一つの伝説、「三返りの翁(みかえりのおきな)」が伝わります。翁は民に霊薬を授け、3度若返ったといわれる長寿の人物で、浦島太郎と同一視されることもあります。室町時代後期には、この伝承をもとにした謡曲『寝覚』が作られ、長く語り継がれてきました。
寝覚の床はアクセスも良く、観光地として整備されています。
自動車では、国道19号沿いに位置し、上松町営駐車場や周辺ドライブインを利用できます。
鉄道の場合、JR中央本線「上松駅」から南へ約2km(徒歩約25分)です。特急「しなの」では車掌が車内アナウンスを行うこともあり、車窓からこの名勝を眺めることができます。
周辺には木曽路美術館や寝覚ノ床美術公園など、文化と自然を楽しめる施設もあります。木曽川の清流や国道19号線を走る列車の音が、穏やかな山間の風景に調和し、訪れる人に木曽路の深い魅力を感じさせます。
寝覚の床は、雄大な自然の力が生み出した奇岩と澄んだ水が織りなす名勝であり、古くから伝わる浦島太郎伝説や三返りの翁の物語が、訪れる人々の想像をかきたてます。木曽の山々に抱かれたこの地は、まるで時間がゆるやかに流れるような静寂と神秘に包まれ、四季折々の美しさを楽しめる場所です。木曽路を訪れる際には、ぜひ一度足を運び、その雄大な自然と伝説の世界に心を委ねてみてください。