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中尾歌舞伎

(なかお かぶき)

伊那市に受け継がれる伝統の農村歌舞伎

中尾歌舞伎は、長野県伊那市長谷中尾地区に伝わる農村歌舞伎のひとつであり、1998年(平成10年)6月24日に伊那市(旧上伊那郡長谷村)の無形民俗文化財として指定されています。この中尾歌舞伎は、江戸時代中期に当地の住民・小松浅右衛門が四国の旅芸人から義太夫の技法を伝授されたことをきっかけに始まったと伝えられています。

「慶応元年丑歳(1865年)」と記された引幕が現存しており、当時の上演の面影を今に伝えています。しかし、第2次世界大戦中から戦後にかけて一時途絶えてしまいました。長い沈黙を経て、昭和61年(1986年)、地域の青年たちの熱意によって復活を果たし、現在では定期公演を行うなど、地元文化の象徴として再び息を吹き返しています。

中尾座の誕生と発展

中尾歌舞伎の上演の拠点となる「中尾座」は、江戸時代の明和4年(1767年)ごろに旅芸人が上中尾の神社「前宮」で芝居を披露したことに始まると伝えられています。その後、地域の人々の手で伝統が受け継がれ、1986年(昭和61年)4月29日、神明社の春祭りに合わせて実に30年以上ぶりに歌舞伎公演が復活しました。

さらに1996年(平成8年)には、廻り舞台を備えた本格的な芝居小屋「中尾座」が完成。以降、春と秋の年2回定期的に公演が行われるようになり、地域の文化行事として定着していきました。中尾座は、木のぬくもりを感じさせる舞台装置や、昔ながらの雰囲気を残す建築様式が特徴で、観客に郷愁と感動を与え続けています。

活動休止と再興への道

長い伝統を持つ中尾歌舞伎でしたが、2017年(平成29年)には、保存会の会員減少や演者不足といった課題により、やむなく活動を休止することとなりました。しかし、地域住民や観客からの「再び中尾歌舞伎を見たい」という声が多く寄せられ、復活への気運が高まります。

その後、映画監督の後藤俊夫氏を招いた応援イベントなども開催され、地域の熱意が再び結集しました。そして2018年(平成30年)1月より稽古が再開され、同年4月29日には満席の中尾座で見事な公演が披露されました。伝統を絶やすまいとする地元の情熱が、改めて舞台の灯をともしたのです。

演目の魅力と舞台の特色

中尾歌舞伎では、古典的な名作を中心に上演が行われています。代表的な演目には、『御所桜堀川夜討 弁慶上使の段』『義経千本桜 鮓屋の段』『奥州安達原 三段目 袖萩祭文の段』『絵本太功記 十段目 尼ヶ崎の段』『人情噺 文七元結』などがあります。

また、中尾には慶応元年(1865年)の年号が記された引幕や、当時の浄瑠璃本十数冊が今も残されており、当時の芸能文化を伝える貴重な資料として大切に保管されています。演者たちは、地域の住民を中心に構成され、年齢や職業を超えて共に稽古を重ね、伝統芸能を守り続けています。

地域とのつながりと未来への継承

中尾歌舞伎は単なる舞台芸術ではなく、地域の絆を象徴する文化活動でもあります。春や秋の定期公演には、地元の人々だけでなく、伊那市外からも多くの観客が訪れます。特に平成30年の春季公演では、伊那市立長谷小学校4年生による演劇「孝行猿」が前座として披露され、次世代への伝承の意義が深く感じられました。

中尾歌舞伎の活動は、地域の歴史・文化を次代へとつなぐ大切な役割を果たしています。これからも地元住民の情熱と協力によって、その伝統の灯が絶えることなく受け継がれていくことでしょう。

まとめ

中尾歌舞伎は、伊那市長谷中尾地区に息づく貴重な農村文化のひとつであり、地域の人々が支え続けてきた伝統芸能です。江戸時代から受け継がれる舞台の心は、時代を超えて今も人々の心を打ち続けています。華やかな衣装や力強い台詞回し、そして温かな地域のつながり——中尾歌舞伎は、まさに日本の「ふるさとの心」を体現する文化財といえるでしょう。

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名称
中尾歌舞伎
(なかお かぶき)

伊那・駒ヶ根

長野県