つるや旅館は、長野県北佐久郡軽井沢町に位置する、歴史と文化の香り高い老舗旅館です。江戸時代初期に「旅籠鶴屋」として創業して以来、数百年にわたり宿場町・軽井沢の歴史と共に歩んできました。特に明治期以降は、多くの文人や著名人が滞在し、創作や交流の場として愛され続けています。
創業は諸説ありますが、1624年頃、佐藤家が中山道・軽井沢宿で休泊茶屋「鶴屋」として開業したのが始まりです。佐藤家は代々「仲右衛門」を名乗り、幕府の米倉や武器庫の管理を担うなど、地域の要職を務めてきました。名物料理には松茸飯や栗強飯、佐久鯉の鯉こく、しっぽくそば、鶏のろうそく焼などがあり、山鳥や雉などの鳥獣料理も提供されていました。また、自前の水車小屋でそば粉を挽くなど、後の外国人客にも喜ばれる要素を備えていました。
1886年(明治19年)、旅籠から旅館業へと転じ、日本建築に西洋の趣を取り入れた施設として生まれ変わります。1888年には宣教師アレクサンダー・クロフト・ショーがつるや旅館の主人・佐藤仲右衛門の斡旋により別荘を構え、これが軽井沢最初の別荘となりました。この出来事は、軽井沢が国際的避暑地として発展する大きな契機となりました。
大正から昭和初期にかけて、つるや旅館は作家や詩人たちの「夏のサロン」として賑わいを見せます。正宗白鳥、北原白秋、芥川龍之介、島崎藤村などの書画が残され(多くは1971年の火災で焼失)、独自の文化サロン的役割を果たしました。旅館はガイドブックの発行や洋食の提供など新たな試みも行い、定員80名を誇る純日本式の宿として人気を博しました。
終戦直後、米軍先遣隊が最初に宿泊した宿としても知られています。1971年の火災で建物は失われましたが、翌1972年には鉄筋コンクリート造の新館を建築し、旧来の趣を可能な限り再現しました。営業は当初夏季中心でしたが、ゴルフやスケート需要の高まりにより通年営業へと拡大しました。
火災後に再建された本館は、現代的構造でありながら旅館らしい情緒を残す造りです。
奥館には「雨翠荘」「夏秋庵」「よもぎ」があり、歌舞伎役者・二代目市川左團次が愛用した別荘を引き継いだ建物です。夏季のみ営業しています。
江戸時代から続く水車小屋は、しっぽくそばの粉挽きに利用され、「作兵衛小屋」と呼ばれていました。代々の隠居が管理を担い、米倉・武器庫の管理と併せて地域に重要な役割を果たしました。
本館2階「ふじ」の部屋に滞在し、碓氷峠への月見などの交流が書簡に残されています。軽井沢滞在では宿泊・食事・喫茶の場所を使い分けるこだわりを持っていました。
アイルランド文学翻訳家で、つるや旅館を題材にした詩を残しています。終戦もこの宿で迎えたといわれます。
小説『美しい村』で描かれる「村はずれの宿」はつるや旅館がモデルとされ、庭や子供たちの情景が作品に息づいています。
文士仲間をつるや旅館へ紹介し、交流を広げた人物です。女中「お千代さん」とのエピソードも有名です。
近衛文麿が内閣組閣案を練った場所としても知られ、市川左團次や尾崎行雄、新島襄ら、多くの政財界人・文化人が訪れました。
現在も旧軽井沢の中心に位置し、伝統的な和の趣と現代的な快適さを兼ね備えた宿として営業しています。江戸から令和まで続く長い歴史の中で培われたおもてなしの精神は、多くの旅人や文化人を惹きつけ続けています。