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旧三笠ホテル

(きゅう みかさホテル)

軽井沢の歴史を伝える純西洋式木造ホテル

旧三笠ホテルは、明治後期に日本人の手によって設計・施工された、数少ない純西洋式の木造ホテルです。1906年(明治39年)の開業以来、多くの著名人や文化人を迎え入れ、「軽井沢の鹿鳴館」とも呼ばれたこの建物は、軽井沢の歴史と文化を今に伝える貴重な存在です。昭和55年(1980年)には、その建築的・歴史的価値が認められ、国の重要文化財に指定されました。

歴史と創業背景

旧三笠ホテルは、実業家山本直良によって旧軽井沢の奥に建設されました。設計を手がけたのは岡田時太郎、施工は地元の大工小林代造、工事監督は万平ホテルの初代・佐藤万平が務めました。
外観にはアメリカのスティックスタイルを取り入れたゴシック風の意匠が施され、扉はイギリス風、外壁の下見板はドイツ風と、当時としては非常に国際色豊かな設計でした。建築材には、地元小瀬産のアカマツを現地で製材して使用しています。

著名人たちに愛された「軽井沢の鹿鳴館」

開業以来、旧三笠ホテルは国内外の要人や文化人が多く訪れた社交の場となりました。渋沢栄一、団琢磨、住友友純、乃木希典、さらには愛新覚羅溥儀といった歴史上の人物も宿泊しています。
また、上皇后美智子さまが独身時代に滞在したことでも知られています。当時は欧米人避暑客との交流も盛んで、軽井沢における国際的な文化交流の象徴ともなっていました。

華やかな晩餐会の記録

大正期にはホテル内の広間で盛大な晩餐会が開かれ、その場には近衛文麿夫妻、有島武郎、里見弴、徳川義親ら著名人が集いました。その様子は今でも写真として残され、当時の華やかな雰囲気を伝えています。

施設と当時の暮らし

最盛期の旧三笠ホテルは本館のほか、別館、庭園、テニスコート、プール、クリケットヤードなど多彩な施設を備えていました。また、敷地内の窯元では名工・宮川香山による陶磁器「三笠焼」が製作され、バーナード・リーチや藤井達吉らも訪れています。

客室は30室、定員は40名と比較的こぢんまりとした規模で、夏季の短期間営業にもかかわらず、洗練されたサービスで多くの宿泊客を魅了しました。当時提供されていたカレーとコーヒーは、現在も当時のレシピをもとに再現され、館内で味わうことができます。

戦争と戦後の変遷

1944年、太平洋戦争の影響で営業を休止。軽井沢は駐日外国人の疎開地に指定され、旧三笠ホテル周辺には各国の外交団が集まり、終戦直前には重要な外交交渉の場にもなりました。戦後はアメリカ陸軍第一騎兵師団に接収され、進駐軍施設として利用されました。

1952年には「三笠ハウス」として営業を再開しましたが、採算面の課題から1970年に閉館。その後、日本長期信用銀行によって買収・移築され、1980年に軽井沢町へ寄贈されました。現在残っているのは、竣工当初の約50%にあたる本館部分です。

建築の魅力と保存状況

旧三笠ホテルの特徴は、西翼の多角形張出しや塔屋による左右非対称の構成、美しい持送り付きの軒、そして当時のまま残された内装です。
特にロビーの造作、暖炉、照明器具、衛生陶器などは創建当時のものがほぼそのまま保存されており、改造がほとんど行われなかったことは非常に珍しい例です。

三笠通りと周辺の魅力

ホテルと旧軽井沢市街地を結ぶ「三笠通り」は、美しい並木道として「新・日本街路樹100景」に選定されています。四季折々の自然とともに、当時の軽井沢の面影を感じながら散策することができます。

利用案内

旧三笠ホテルは1983年4月から内部公開されており、訪問者は館内を見学できます。

まとめ

旧三笠ホテルは、軽井沢の避暑文化や国際交流の歴史を語る上で欠かせない存在です。豪華でありながら落ち着いた佇まいは、訪れる人々に明治から大正期の華やぎを感じさせてくれます。
歴史的建造物としての価値だけでなく、当時の生活様式や文化的背景を知るための学びの場としても魅力的なスポットです。軽井沢を訪れる際には、ぜひ立ち寄ってその歴史と美を体感してみてください。

Information

名称
旧三笠ホテル
(きゅう みかさホテル)

軽井沢・御代田

長野県