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長福寺(木曽町)

(ちょうふくじ)

木曽の歴史と静寂を伝える禅寺

長福寺は、長野県木曽郡木曽町福島にある臨済宗妙心寺派の名刹で、山号は「龍源山」と称します。町内の興禅寺、大桑村の定勝寺とともに「木曽三大寺」の一つに数えられ、境内には初夏に咲き誇る「やまぼうしの花」が美しいことから「やまぼうしの咲く寺」としても親しまれています。木曽の自然と深く調和した静謐な境内は、訪れる人々に安らぎと歴史の重みを感じさせます。

古代から続く歴史の始まり

長福寺の起源は古く、大宝2年(702年)に木曽古道・薬師平付近に創建された天台宗の寺院が基となっていると伝えられています。その後、時代の流れの中で荒廃しましたが、永享2年(1430年)に木曾家の一族・木曾豐方が再興を発願し、鎌倉・建長寺二十二世の高僧・竺隠白巌を招いて中興を果たしました。

白巌の没後、一時期無住となり衰退しましたが、永正年間(1504〜1521年)に木曾義元が本拠を木曽福島に戻したことを契機に復興。叔父である妙心寺住持・信叔を迎え入れ、臨済宗妙心寺派へと改宗しました。この時、かつて福島村に存在した「龍源寺」と合併し、現在の「龍源山 長福寺」となりました。

戦国時代の長福寺 ― 武家と禅の交わり

長福寺は木曽氏の菩提寺として厚く庇護されました。永禄年間(1558〜1570年)には木曾義昌が祖先供養のために霊廟を再建し、武田信玄の供養塔を建立したと伝えられています。また、家臣の桑原刑部右衛門尉重久が長福寺の僧・高安を招いて「補陀落山 普門院」を開いたことでも知られています。

戦国の動乱の中、木曽氏が徳川家に従い関東に移ると、木曽谷の支配は豊臣秀吉の家臣・石川光吉に移りましたが、石川も木曽三寺(長福寺・興禅寺・定勝寺)を保護する旨の書状を出し、信仰と寺院の継承を保証しました。

江戸時代 ― 山村家の菩提寺としての歩み

文禄3年(1594年)、火災によって伽藍を失いましたが、翌年には木曽代官・山村良候によって再建されました。以後、木曽を治めた山村氏の菩提寺として発展し、境内には山村良候や良利など代々の墓碑が残されています。

また、山村家の女性たちの墓を祀る宝篋印塔が中段に並び、上段には開基・木曾豐方の墓碑もあります。これらの石塔は木曽の歴史を物語る貴重な遺構です。さらに、王滝村や開田村にも分寺が創建され、長福寺の信仰は木曽谷全体へと広がっていきました。

再建と現在の姿

その後も度重なる災害に見舞われ、嘉永3年(1850年)および昭和2年(1927年)の大火では全焼の被害を受けました。しかし、昭和40年代に二十世住職・文隆によって大規模な再建が行われ、昭和42年に山門、昭和48年に方丈、昭和49年に本堂、昭和58年には鐘楼が完成し、見事に往時の姿を取り戻しました。

現在の伽藍はすべて総ヒノキ造りで統一され、堂々たる風格を備えています。境内には高遠の名石工・守屋貞治による石地蔵が安置されており、また本堂裏には白砂に「臥牛石」が据えられた小庭園があり、簡素ながら深い趣を感じさせます。

主な伽藍・見どころ

本堂、山門、鐘楼、方丈、位牌堂、庭園、木曽家・山村家墓所、武田信玄供養塔、守屋貞治作石地蔵など、見どころが数多くあります。

末寺

大通寺・源流寺・普門寺・大泉寺(木曽町)鳳泉寺(王滝村)永昌寺(中津川市)などがあり、長福寺の信仰の広がりを今に伝えています。

文化財と伝説

長福寺には、平安末期の女武者として名高い「巴御前の長刀」が伝えられています。これは木曽義仲との深い縁を示すものであり、木曽の歴史と伝承を今に伝える貴重な文化遺産です。

訪れる人への静かな祈り

四季折々の花々が咲き誇る境内は、木曽の山々と調和した静けさに包まれています。春は桜、初夏はやまぼうし、秋には紅葉が彩りを添え、訪れるたびに異なる風情を感じさせてくれます。木曽路を旅する際には、歴史の深さと自然の美しさを併せ持つこの寺を、ぜひ訪れてみてください。

Information

名称
長福寺(木曽町)
(ちょうふくじ)

木曽・妻籠

長野県